ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

アンパンチがアンビームに変わる日

アニメの暴力シーンについて、 それはいけないんじゃないの? という記事が躍っていた。

アンパンマンも暴力で終わらせているじゃないか!

ということに引っかかっている大人がいるのだ。 悪をこらしめるために一番わかりやすいのが暴力だったりする。 「さるかに合戦」のサルも、「水戸黄門」のインチキ両替商も、 結局は暴力でこらしめられている。

それが「わかりやすい正義の表現」だからだと思う。

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たしか以前、プリキュアだって「殴る蹴る」の暴力描写を無くそうという試みはあった。 我が子はそれを見ていたが「殴る蹴る」のかわりに道具からビームが出てしまうなど、 子供にはよくわからないことになっていた。 大人目線で見ればとても良い試みだったと思うのだが、 同じような時間帯の仮面ライダーでは殴り合いをしているわけである。 子供には結局「わかりにくい」になってしまっていたのだろう。

私の奥方は常々、
男の子を育てているお母さん達は無条件で尊敬する。
と言っている。

もちろん女の子のお母さんを尊敬しないワケではないが、 男の子=怪獣 という図式は、男の子を育てている方々からは当たり前のように教えられるのだ。

そんな男の子たちとおじさんの私が遊ぶと、 私に対して本気の蹴りを繰り出してくるのである。 そして横をみれば、私よりご高齢の先輩諸君も 私同様本気の蹴りを笑顔でくらっている。

顏で笑って心で泣いて。

おとなが「わかりやすい正義=暴力」と仕掛けている以上、 手はひとを殴るため、足はひとを蹴るためと、 暗に教えているようなものなのだ。

もっと他に手段は、方法は、無いのだろうか。 アンパンチが、アンビームに変われば良いだけなのだろうか。


戦争はもっともわかりやすい「暴力のやり合い」だった。

戦争に対しては声をあげて反対するクセに、 アニメやドラマのなかの暴力を子供たちに見せているのだから、 「戦争はダメだがひとは傷つけていい」 と言っているようなものだ。

暴力描写のないプリキュアを見た我が子は、 殴る蹴るの仮面ライダーを見て怖がっていたし、 「なんで手でバーンするの?」とも言っていた。 暴力描写の無いものを子供が観ればどうなるか。 私は効果があると思った、その時は。

数年後、学校に呼び出された私とその他の親御さんは、 集団で誰か一人のランドセルを小突いたということを知らされた。

我が子は加害者になっており、学校側も被害者が怪我をしていないから ということで大きな問題には発展しなかったが、 手でランドセルをバーンした加害者一派に加わっていたのだから、 我が子は加害者なのである。

たとえ怪我がなかったとしても、ランドセルはダメージを負ったのではないか。 それがいけないことだともちろん教育したが、 加害者一派に「暴力大好きっ子」がいたことは確かだった。 そして我が子がそれに影響されてしまったのも確かなのだ。 結局暴力描写を減らしたところで、どこかの誰かが暴力的であったら 子供なんか簡単に影響されてしまう。

重要なのは暴力描写の有無ではなく、
なにが人を傷つけるかを考える
という事が本当の教育といえまいか。

ただ、無邪気な子供におとなの物差しはきっと合わない。 立川一派のメガネのあいつが世の親御さんに文句を言ったって、 こういった問題はたぶんこれからも平行線なのだと思う。


今の教育は、道徳の「道」は教えるけれど「徳」は教えていないといわれている。 道は示すがどのように歩めば何が起こるかを教えていない。

こどもに「お前の人生だ、好きに生きなさい」と言ったって、 どう生きたら良いかわからないのだから、ある程度は教えないといけない。 親はもっと子供に向き合わなくてはいけないし、 ひょっとしたら道徳の「徳」は、親が直伝しなければいけないのかもしれない。

人格を作るのはやはり親。

テレビや学校やクラスメートから若干の横槍をくらうが、 子供には「なにが人を傷つけるのか」と「なにが人を助けるか」を、 しっかり叩き込まなくてはならない。

暴力描写のないプリキュアに、ひとまず我が子は影響を受けたのだから、 子供には親が思う以上に吸収する能力がある。
その能力を親がどうするか。
人格はやはり親が作っている。

最近のドラマでは暴力描写が減っているように思う。 昔なんかは平気で殴っていた、それも顏を。 それが「教育だ」というひとも昔は多かったのだから、 世の中だいぶ変わったのだと思う。

それにひきかえ、アニメや特撮の中では相変わらず殴り続けている。 今それに戸惑っているのは、子供たちかもしれない。

written by 日照ノ秋人
暴力描写が多かった昔ほど暴力沙汰が多かったのは事実。