チェアリングなる競技(?)をとあるブログで知ってしまい、面白そうだ!と思ったのだが、よく考えたら椅子を持ち込んで座るだけであるとわかり「なんだ、座るだけか」と妙にスレたことをつぶやいた私である。
しかし、やっている人の状況を見てみると「座るだけ」ではないことが次第にわかってきた。
なるほどそうか、これがチェアリングというものかと、わかったようなことをつぶやいて是非チャレンジしようと考えてみたのだが、必須アイテムとされる「椅子」が無い。
このままではただ地面に座るだけのひとになってしまう。家の中を捜索すると、キッチンに置かれた簡易的な椅子を発見した。
持ち出そうとすると「屋外持ち出し禁止」を言い渡されしゅんとしたが家の中でやればいいじゃないか!と後で考えたらいやソレwwwと思うようなことを突如ひらめいた私である。
廊下でチェアリング
廊下というのは細く長かったりする。もちろん、普段は通過するのみなので、まさかここで椅子に座り一杯クイッとやるなんて誰も思うまい。
廊下にたたずむと、空気の流れを感じる。ここは空気も通る場所なのだ、家の動脈なのだと詩人めいたことを考えると、ここは一時的にでもゴミなどを置いてはいけないような気がしてきた。
廊下には何も置いていないと思いきや、意外と仮置きと称した据え置きブツの存在に気付く。我が家では、買い溜めしたトイレットペーパーがニュートラルコーナーのようにそびえ立ってるし、浴室乾燥用のスポットクーラーが夜の出番を待っている。
そして気付いた点は他にもある。
かなり涼しい(寒い)ということだ。リビングにいる格好でチェアリングをしていたら寒くなったので、一枚羽織るものをタンスからひっぱり出してきた。こうやってすぐに自分の衣類を手に入れられるなんて、素晴らしいじゃないか。なんせここは、自分の家なのだから当然か。
とはいえ、ここは通過するだけの通路である。照明を付けているとはいえ、暗いのだ。本を読む目が疲れてきたところで、家族に「邪魔だ」と言われた。
フッ。
男の嗜みがおんな子供にわかってたまるかと思ったが、邪魔なのは確かである為、移動する事を決めた。移動出来るのも、チェアリングの良い所ではないか。「公園のベンチではこうもいかないぞ」と家族に吐き捨て、頭の右上にハテナマークを付けてやったところで私は立ち上がった。
玄関でチェアリング
廊下から撤退した私は、その先の玄関へ向かった。玄関でチェアリング、これもなかなかオツではないか。しかし我が家の玄関は全く日の光が入らない為、暗いのである。そしてしばらくたたずんだところで気付いたことは、とてもクサイということだ。
そりゃあ町中の汚いモノを踏みつけている靴が置かれている玄関が素敵な臭いを発するワケがない。それに人間の足裏は意外と頑張っている部位なのである。そんな足裏が素敵な臭いを発するワケがない。
チェアリングに適さないと判断した時、私が普段履いている革靴に目が行った。通勤時の満員電車で踏まれて蹴られる私を守る歴戦の勇者である。その勇者が傷だらけなのだ。これはと思い、靴磨きを始めた。
チェアリング×靴磨き
モノを愛でるは男の、いや、人類の嗜みである。それをチェアリングしながら行うというのはなんて贅沢であろう。これはバチが当たるかもなぁとほくそ笑んでいるときに、「なにしてんの?ああ靴磨きか」と家族に言われ、内心「そーだよ、チェアリングしながら靴磨きだぜぇ」と思った瞬間、そうか!これはチェアリングしながら靴磨きをしているようには見られないのだな!と気付いた私である。
チェアリングしながらではなく、ただの「靴磨きしている人」になってしまった私は、すっかりチェアリングというものが何かわからなくなってしまった。今度は浴室でチェアリングしようか、それともクローゼットかと目論んでいた私は「リビングでいいじゃん」という賢者の声が聞こえたような気がして、リビングで本を読むことになった。一枚羽織った服は、もちろん脱ぎ捨てて。
私の知るチェアリングの達人は、川のフチギリギリでたたずんでいた。スリルを伴うチェアリング、なんて素敵だろうか。キャンプとは言わないまでもそんな気分になれるのだから、チェアリングはお手軽で良いと思う。ぼーっとすることが出来ない現代人には、意外と贅沢なことなのかもしれないね。