ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

子供に愛情だけを注いでいると不登校になってしまう話

注ぎなさい、愛情を。
子供はきっとそれにこたえてくれるから。

愛情?

こたえてくれる?

みなさん、いい歳こいてますか?
日照ノ秋人です。

「愛情」なんて、親のものさしだと思うのは私だけでしょうか。

子供のSOS

幼稚園にいきたくない。

小学校にいきたくない。

困るよ仕事があるんだから、いってくれないと。君の仕事は学校にいくことなんだよ。わかってくれよ。

幼稚園の入り口などで、親から離れたくない、いきたくないってぎゃん泣きしているお子様をよく見ます。

小学校に行きたくないって駄々をこねている子もよく見ます。

なぜいきたくないかを考えたことってありますか?

彼らはただ単に、「親ともっと一緒にいたい」だけなんです。
でも親たちは仕事があるから、ずっと一緒にはいられません。

子供を養うためにはたくさんのお金が必要だからです。

親はお金が必要だから働く。
子供は親と一緒にいたいし、甘えたいけど我慢する。そんな境遇の家庭、今は多いんじゃないでしょうか。

逆に言えば、「子供に我慢させている」ことになります。

でも我慢しきれないから駄々をこねるわけです。

それが子供にとってのSOSのサインです。

親がいつでもそばにいる安心感

とある公園での光景。

子供は遊具で遊んでいます。

親たちは座って世間話をしています。

時折子供は親の方へ走ってきて、話しかけたり抱き着くことがあります。
ある一定時間いっしょにいると、また遊具で遊び始めます。

なぜ子供は時折親の方へ走ってくるのかというと、そばにいるか、近くにいるか確かめに来るわけです。

遊びに夢中になりすぎて、親が近くにいるかなと不安になり、安心を求めて走ってくるのです。

子供の心には、安心と不安が乗った天秤があり、親がいない時間が多いほど不安が重くなってつり合いがとれなくなります。

不安になると安心を求めて走ってきては、安心をチャージして天秤のつり合いバランスの不安の方が重くならないように調節します。

親が近くにいれば、安心をチャージできるというこころの余裕が生まれ、不安になりにくくなってきます。

共働きだけど愛情もって接しているじゃないか

いくら親が「愛情をもって」なんて言っても、子供にはなにも響きません。

親が近くにいない時間が長い子供は不安になる時間が多く、不安になりやすいため、 たまにもらう「愛情」なんてものは必要ありません。

むしろ、近くにいて「安心」をチャージさせてくれることを望んでいます。

だって不安ですもん。

痛かった、おなかすいた、暗くなってきた。全部怖いですもん。

また、安心と不安の天秤において、不安がずっと重たくバランスがとれていない子供はあまりの不安から「不安定」になってきます。

するとどんどん不安になりやすくなってきます。

そんな子供に、親にとって都合のよい「愛情」なんてものはなんの役にも立ちません。むしろそれが「仕打ち」のようなものに感じられてきます。

そして、人間の「愛情」というものが信じられなくなってきます。

私が今回の記事で断言している理由

この記事で私は「こう考えています」なんて書いていません。
全て断言してしまっています。

それはなぜかというと、我が家の場合と周りの家庭で起こっていることを比較、検証すると、「愛情だけを与えていればいい」という発想が、子供を「安心」に導いていないという結論を自然に導き出せるからなのです。

私の家庭は奥方がパートで働いていますが、完全に「幼稚園、学校に行っている時間のみ」に限定し、家に帰ればいつでも親がいる状況を作っています。

そのためにわが家庭は手取りが少なく、生きていくのがやっと、貯金はわずかという 人生の不安を親が背負っているような状態です。

そんな環境から子供は「幼稚園に行きたくない」とか「学校に行きたくない」という事は一切なく、むしろ安心して「行きたい」と言ってくれてます。

そして周りの家庭ですが、ほぼ共働き家庭で、下校時間になっても親は不在です。

でも手取りは多く、高級車を乗り回し、ゲームやおもちゃを買い与え、ふんだんにお金を使っているなという印象は断然あり、「住宅ローンを速攻で払ってやるぜ」みたいなパワーがあります。
そんな私の周りでは日々いろんな事件がおこります。

夜遅くまで両親が帰ってこない家庭の子供

友達といるときは手持ちのゲームを楽しそうにやっているのですが、夜になり、友達がいなくなるとひとりぼっちでぶらぶらしています。

一目見て「情緒不安定」なんです。

そんな子がある大雨で雷が鳴っている日。 両親がちょっとした用事があるから30分くらい留守番してくれとその子に言って外出してしまいました。

土砂降りのなか、わが子をびしょぬれにしないようにとの配慮だったかもしれませんが、雷が鳴るなかでの留守番に不安が爆発したのか我が家のインターホンを泣きながら押してきました。

どうしたのかというと、両親が自分を残して帰ってこないと言うのです。

こちらは奥方と、とにかくその子の近くにいて、大丈夫、大丈夫と安心させるように勤めましたが、両親が近くにいないことで不安はMAX状態です。

結局しばらく待ってその両親は帰ってきましたが、その間我が家に一人でいた我が子は「うわーカミナリ、こわーい」と楽しんでいるように笑っていました。

我が子はその半べその子より3つ年下なのにです。

親が近くにいなさすぎて不登校になる

幼稚園行きたくない、小学校行きたくない。家は立派、超立派。
ローンはたっぷり、超たっぷり。

両親はフルタイムで稼ぎまくり!の家庭から、子供について、フルタイム共働きでない私たちに相談してきました。

その家庭の子供は不登校の気配が存分にあったので、私は両親のどちらかが仕事を辞めなさいと言いました。

自分たちの不安を子供に押し付けてどうする。子供なんて、たかだか親離れするまで近くにいてやればいいんだから、と 伝えたのですが、ローンが返せないのか結局共働きは継続で子供は不登校になってしまったとのこと。

それだけじゃなく、なんらかの恐怖症を持ってしまっているそうで、安心の「あ」の字もなく不安に毒されてしまった子供になり、親は「手がかかる子供だ」と漏らしているそう。

手がかかる子供に仕上げたのは、安心を与えなかった両親にあると断言できます。

他にもエピソードはありますが

結局、親の因果応報の「報い」を子供に押し付けている親たちがとても多いのが気になります。

おもちゃを買い与えている、生活に余裕がある、愛情をそそいでいるなんて ただの自己満足か埋め合わせでしかなく、子供にとっては「これをもらったらまた我慢しなきゃいけない」と思っています。

子供たちを見ているとみんな不安げです。
ちょっとしたことで不安になり、親が近くにいないことで不安が爆発していきます。

その結果が「情緒不安定」やら「不登校」、しまいには「恐怖症」まで子供を陥れているのですから親としてはとても恥ずかしいことだと思うのです。

たかだか親離れするまでと書きましたが、本当に「たかだか」です。
子供の人生は親より長いですからね。

稼ぎたいならそのあと稼げばよろしい。 節約し、質素に暮らしてまで、子供に不安でなく安心を与える。
それが出来なきゃ親失格ではないでしょうか。 子供の時に負った不安の傷は一生ものなのですから。

子供にとって両親は唯一無二の港、替えはきかないのです。

ですから、親がもう少し背負ってでも、子供を育てる。

育てるしかないんですよ、唯一無二の我々親が。