ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

教師は教え方が上手な人がやるべき

えー、「人」という字はぁ
お互い支えあっているのではなく、
チューしているんですね。
つまり「ラヴ・アンド・ピース!」

みなさん、いい歳こいてますか?
日照ノ秋人です。

こんなこと言う教師がいたら
暮れなずむ土手でバチコーンですね。

f:id:hiderino-akihito:20180916220630j:plain

教員免許取得には

学校の先生になるためにはたくさん学び、頭がよく、知識も豊富、「こんな大人になるのだよ」という 良き人間のモデルとなることを目指して行動しなければいけません。

なあんてルール、あるんでしょうか?

頭がいいから先生になる。
頭がいい先生から立派な大人がうまれる。

日本の教育はだいたいこんな感じですが、とてつもなく「大事なこと」が抜けています。

それは「教え方」です。

頭がいいのはおおいに結構。
ただ、頭がいいだけでは子供を立派にはできません。

なぜなら、

成績優秀=知識がある
教え方が優秀=技術がある

今は「教え方」を理屈で学んでる人が多いのですが、教え方の神髄はあくまで「技術」だと私は考えます。

知識と技術は全然別物

その技術は人生経験が大きく関係すると私は思っています。

教えたいのに伝わらない。
そんな壁にぶつかった人が悩み考え抜いてその壁を乗り越えた時に都度、乗り越え方を覚えていきます。

子供は子供なので、壁にぶつかることだらけです。
壁にぶつかっていることに気づいていない子供も多くいます。

教師としては、壁の乗り越え方を知っていて、その術を教えることができる人ほど優秀だと思いますが、今の先生方は術を教えるというより理屈を教えている感じがあります。つまり、教え方がへたくそなんですね。

教える技術=伝える技術

知識は身につけるもの。
技術は磨くもの。

私はそう思っています。

私が「教える技術」なあんていうのは、職場でも「教える立場」になっているからなんですね。

長年同じ仕事をやっていると、その道の知識や技術はあたりまえに身についていきますが、それを新人に教えられるか、教える技術はあるのかと考えた時に良い教え方がわからないという壁にぶつかりました。

学校の先生方も一緒。

学生時代に知識は身につけてきた、
しかし、それを子供に教えられるか、教える技術はあるのかといえば、「技術」はあるかもしれないが「磨かれていない」のです。

知識はその道で生きていれば意識次第で身についていきますが、技術は磨こうとしなければ磨かずに鈍っているだけになります。

本当に重視すべきは「技術を磨くこと」だと思うのです。

せっかくたくさんの知識を身につけた先生方なのですから、それが伝えきれなかったら非常にもったいないです。

では、的確に伝えることができたなら・・・
今の日本ではそれが難しいかもしれません。

日本語では無理かも

日本では、「コーチング技術」が海外に数十年遅れで始まってます。
昔の日本は「コーチング理論」止まりでした。

「日本語」というものが阻害していたと私は考えています。

日本語は便利です、全てを言わずとも伝わってしまう。

だからこそ、間違って伝わりやすいのが日本語の特徴です。

だから「技術」でなく「理論」でよかった。
しかしそれが「技術」の遅れを招いたともいえます。

教える技術がある人の方が・・・

生徒からは「わかりやすい」と耳を傾けられます。

こちらにみんなが注視してくれるのは非常に教えがいがあります。

生徒にも先生にもいいことだらけですね。

みんなが注視してくれないと、いくら頭が良い先生だからって、教えが浸透していきません。

極端に言えば、教え方が上手であれば頭の良さはどうでもいいんです。
知識は大人になってからでも短期間で身に着けられますから。

マトメ

学校の先生というのは毎日が「教える」の繰り返しなのでしょうが、この「毎日」というのもマンネリを生み出していますよね。

私が小学生だった時の担任の先生と成人式で会って話をしたときに、まったく教師として、人間としての変化が感じられなかったのです。

そりゃあ、ちょっと話したくらいではなあんて思いますが、違う先生と話ししたときには凄まじいくらいの変化を感じたので単純に比較しただけです。

やっぱり教え方が上手な先生が教わる側から見ればいい先生です。

教え方に焦点を当てて継続を促すのが塾で、そこに焦点を当てないで、子供、親ともめ事を起こさないで卒業までやりすごすのが学校、そんなうがった見方も出てきてしまいます。

こんなこと書いておいてなんですが、学校の先生という職業は尊敬しています。
子供というなんでも吸収してしまう吸収モンスターを相手にし、下手なことは教えず、必要なことを教えるのは並大抵の人間力ではできないですからね。

子供の親になって初めて見えた教師の凄さです。

しかし、私が聞いた「教師になる理由」の話は、並大抵の人間力ではない「何か」であったため、良い先生方には大変申し訳ないのですが、今ではうがった見方になっています。また、別の機会でそのことは書いていきます。

問題だ~、問題だ~で
終わってしまいました。
だからこのブログ、ダメなんだよな~。

おしまいマイン