ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

ブログが悪いんじゃない群れ方が悪いんだ

ブログを書くという事は孤独な作業ですね。 チームプレーでやっているひといるんでしょうか。

私の様にくだらない文章をひねり出すだけでも一応は頭を使っていますが、孤独の環境化でないとまったく出てこない、トイレでのお作法と一緒なんですね。

みなさん、いい歳こいてますか?
日照ノ秋人です。

しけたマッチで俺を湿ら~すな~
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ブログを始めて知ったこと

今までブログというものをまったく意識しないで今まで生きてきました。

もちろんなんの不自由もなく、です。

私のブログというもののイメージは周りの知人が書いたもの、芸能人が書いたもの、誰が書いても「恐ろしくつまらないもの」でしかありませんでした。

ブログ=つまらぬ

そんな感じです。

ツイッターも同じ「つまらぬ」でした。

いやはや、ファーストコンタクトとは怖い。
最初の印象で「つまらぬ」が私の中に形成されたのですから。

その後、「プロブロガー」などという諸兄らも現れ、私の中で「つまらぬこと」を仕事にしてしまう人まで現れたのかと時代の流れというものを感じた瞬間なのでした。

そしてアフィリエイなんとかというもので稼いで、サラリーマンなんか プワァ~!っと辞めちゃって、
「消耗するなら金をくれ!」という ひとまで現れ、なんだか「きな臭さ」が漂う世界と、それに異を唱える 人々がガチャガチャしている世界が新参者である私が見たブログ界というものです。

ブログで「稼ぐ」ことを否定はしません

これからは副業の時代とも言われているため、アフィリエイなんとかで「稼ぐ」ということを否定はしません。なんならこのブログも収益化してみたらどんな結果が出るか興味がありますね。

ただ、「俺たちのようにリーマンなんか辞めて一緒においでよ!ブログの森!」という感覚は理解できません。

そりゃあブログで儲けてうまくいったひとから見れば「いっしょにおいでよ!」
はわかりますが、大半の人は 「儲け」の時期を見誤った「儲けられない人たち」であり、儲かっている人から見れば、儲かってない人たちを誘い利用し、自分たちだけ儲けることが出来る道をすでに作ってしまっています。

「儲」という字は「信者(しんじゃ)」と書きます。

「俺っちも貴方にお近づき~!」と言いそんな道に誘われてしまう人が「信者」と
なり教祖の「儲」につながります。

なんだかそんな世界を見せられると、ブログで儲けるだなんて言ってる人に対して

「・・・。」

と思ってしまいますし、信者ともども「群れている」のも

「・・・。」(-_-)

と冷めた感じで見てしまいます。

群れ方が悪いのでは

私の中で「勝つ集団」と「負ける集団」を職業柄常々考えており、今のブログ界に見られる群れ方はどちらにもあてはまりません。

しいていうなら
「負ける集団だが一部だけが勝つ」
という感じですかね。

新興宗教などにあるパターンです。

これではやっぱり新興宗教と違うとはいえ「きな臭さ」が漂いますね。

「きな臭くない」ブログは本当に、そこいらへんの本を読むよりためになるものだとも感じています。

おのれの経験をさらけ出し、問題点、改善策、そして結果までをきちんとレポートしているブログは本当にすばらしく、敬意をもって読ませていただいています。

ブログはつまらぬものではないし、きな臭いものでもないし、決して悪いものじゃないんだと思います。

ただ、群れ方がどうしても悪い。

意見を出しあう、議論する、という「横のつながり」はいいと思います。
ただ、教える、教えを乞うという行為に金銭が発生する「縦のつながり」は、
ある一方にはメリットがあり、
ある一方にはメリットが無い。
儲けがイーブンでは無いんです。
(ひと昔前はイーブンだったかもしれません)

マトメ

暴走族だってひとりぼっちではああはならないと思います。
「群れているから悪くなる」の典型。
女子の「派閥」なるものも似たようなもんです。

冒頭で、ブログは孤独と書きましたが、孤独であることで個人的になり、「そーだそーだ」の取り巻きがいないことでさらに団体的な怪しさがなくなります。

それが胸をうつ記事を作る要因なような気がします。
なので、孤独なブロガーを
私は応援します。


こちらもぜひ

hiderino-akihito.hatenablog.com