ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

0点をとったら見えるゼロ以下の世界

人生を左右するのが紙っきれのテストなんて嫌だなぁと思うんです。

え、いきなりなにを言い出すのかですって?

みなさん、高得点ですか?
日照ノ秋人です。

全力で100点をとった人はいっぱいいるのでしょうが、 全力で0点をとった人はあんまりいないのではないでしょうか?

今回は「0点のススメ」です。

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私は過去に0点を2度(2教科同時に)とったことがある

いずれも高校の中間テストでした。

その2教科を同時に落とせば「学校を愛するあまり留年」が決定してしまうほどの人生の大ピンチです。

たかが0点をとったくらいで人生が終わってしまうのかと思うと、 テストなんかで人生を左右させるんじゃない!と声高らかに言いたくなります。
※もちろん、留年したら人生終わりというわけではありません。(断言)

その2教科を次回の期末テストで80点とらなければ留年確定。(単位の多い教科だったので)

絶対に無理なのです。

だって中間で0点だぜ。

0点をとると世界の見え方が変わる

これは全力でテストに臨み、華麗に0点をとった者しかわからない話になります。

0点をとると、いろんなものの見え方がガラリと変わります。

わかりやすく、マンガのキャラクターで説明します。

のび太はすがすがしい

のび太と言ったらあれです、ドラえもん

彼ほどすがすがしく0点を炸裂させる者はいません。 いっつも0点なのですから。

しかし、0点をリアルでいただいた私は彼に共感することはありませんでした。

なぜなら、彼には「早打ち」と「あやとり」という、だれにも負けない技術を習得しており、頭が悪かろうがそれなりに食っていけそうだからです。

それに彼には「ドラえもん」というなんか青いやつがいるのです。
何かしらの手口で裏口入学など・・・(自主規制)

波平が厳しすぎる

波平と言ったらあれです、サザエさん

そんな「サザエさん」の最重要人物である「カツオくん」は30点前後の答案を波平に見せ、「バカモーン!」をいただいているのです。
(隠したり誤魔化したりするからバカモーンなのですが)

0点をリアルでいただいた私から見れば、「30点」は高得点です。
なぜなら、次回の期末テストで「50点」とれば良いのですから、 自分を追い込むための30点に見えます。

そんなストイックなカツオくんに怒鳴りハゲ散らかす波平。

職場のデスクに電話と紙とペンしか置いていない窓際族の波平がエラソーに怒るのです。 ※ちなみに花沢さんはカツオくんと同じような点数なのに 「こんな点を堂々ととるなんて花子は凄い!」と誉められている。

このように、マンガひとつでも見え方が変わります。 劣等生のキャラクターに対し、「慈愛」とか「同志」とか、そんなものを抱きます。

0点をとった者にしか見えないゼロ以下の世界

私が0点をとったころ、宇都宮隆の唄
「ゼロよりも少ないはじまり」
を聴いていました。

その一節、

「ゼロよりも少ないはじまり 恐れることはない」

いやあ、良いですね。
よく言われます、こんな風ななぐさめを。

しかし、0点をとったものには「留年」と「絶望感」などから

自分はどうなってしまうのだろうか
この先、どう生きていけばいいのだろうか
そもそも、生きていけないんじゃないか

という「ゼロ以下の世界」が見えてしまうので、 ハッキリ言って「恐れるものしかない」状態になります。

よく、「下まで落ちきったのだから、あとは上がるしかないじゃない」的なことを言いますよね。

それは10点、20点をとった者には有効ななぐさめかもしれませんが、 0点をとった者はどうしても
「落ちきっていない、もっと下の世界が見える」のです。

それは全力で0点をとった者しか絶対に見えない世界です。
100点をとった者には絶対に見ることが出来ないのです。
ワタシ、区別します、いつになく鼻の穴を広げ気味に。

先生に言われて救われたこと

「いいじゃん、社会に出てから0点とったのでは、やり直しは厳しいかもしれないが、学生のうちに0点とって世界が変わって見えたなら、それは貴重な学習をしたことになる。」

と、特殊科目の先生に言われて、救われました。ほんの少しだけ

当時は「ほんの少しだけ」でしたが、社会に出て、いい歳こいて、「ゼロ以下の世界」を見たことが良い経験であったと感じました。

先生というのは不思議なもので、2つの教科のうちのひとつが「数学」でしたが、とある計算法が全然理解できず、「期末で80点とるための特訓」を数学の先生とマンツーマンでしばらくやることになりました。

しかし、いくらやっても全然覚わらず、部活の先生に軽く聞いてみることにしました。

すると、「その数学の先生に今どんな風にやれと教わっているか」から始まり、特訓をしている数学の先生とは違う解き方を本当に軽く教わったのですが、それが非常にわかりやすく、速攻で頭に入ったのです。

マンツーマンで特訓していただいた先生には大変申し訳ないのですが、 教え方が非常に悪かったと言えますし、部活の先生も

「いろんな先生がいるからなぁ・・・(遠目)」

という状態でしたので、コーチング技術がいかに大事なのかを0点の私がその時に学習いたしました。

hiderino-akihito.hatenablog.com

子供というのはそんなことで絶望感をおぼえる

私が「ゼロ以下の世界」と散々言っていますが、当時の私はとても「絶望的だった」わけです。

留年して、学校生活を続けるか。
居づらいからやめちゃおうか。
中卒決定じゃないか。
就職なんかできるのか。
この先食っていけるのか。
ハーモニカと少しの小銭をもって上京しようか。
横浜まで行こう、帰るのはいつも午前0時。
初めて知る行き止まりの路地裏で。
※途中から浜田省吾「路地裏の少年」でした。

絶望とは、いろんなことを想像します。

それも、悪い方向ばかり。

しかし、自分で「悪い方向」と思って勝手に想像していましたが、 別に死んでしまうわけではないし、中卒だって立派な人はいっぱいいらっしゃるし、それはそれでひとつの道だし、絶望することではないと今では思えます。

子供の中で描いた「世界」とか「社会」はとてもせまいことがわかります。

大人になっていろんな道を知ることができたので、若い世代で悩んでいる方々、「留年」とかで人生が終了すると思わなくて良いんですよ。

断言します。
「ゼロ以下の世界」とは、
ただの「被害妄想」です。

おわりに

考えよう こたえはある

そんなどこぞの企業のキャッチ、ありましたよね。

わたし、猛烈にキライなんです。

絶対に0点をとったことのない、自分の被害妄想である絶望を 感じたことがないひとが作ってますよね、このキャッチ。

0点をとったことがある私だったら

「考えよう こたえなんてない」

全てに答えがあるという前提なので「こたえはある」なあんて言うんです。

でも、社会に出て働いて「本当のこたえなんかない」と実はみんな感じていませんか?

答えがないのだから、考えなければならないのです。

答えを導き出すのがテストなら、答えを編み出す、作り上げるのが社会人の仕事。

答えを作り上げたって、大勢が納得してモノが売れたりすればそれが答えなんです。

それは、イコール「人生」でもあります。

0点をとり絶望を感じ将来を案じても悩み、考え、答えを編み出すことができる。

「ゼロ以下の世界」が見えたのなら、「落ちきってから上がる」という甘っちょろい考えではなく、「一刻も早く這い上がる」意識を持って行動できる。

0点をとったその日から、確かに意識は変わりました。

それは自分にとって貴重で大きな「学習」であったと今では思ってます。

おまけ

「ゼロ以下の世界」を見たわたしは、そのころが生涯で一番勉強した時でした。

その後、数学は「78点」で2点不足だったのですが、マンツーマンで努力したことによる目には見えない加点(配慮)があり、単位は落とさないで済みました。

ちなみにもう一つの教科は、生涯で一番勉強したにもかかわらず、 「12点」というファンタスティックな点数をたたき出し、単位を落としましたが留年することなく無事卒業できたのでした。

不思議なもので、0点という答案は目にすると笑ってしまう程の破壊力があるんですよ。