ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

子供に人の「死」を教えるために贈ったことば

こどもには「死ぬ」ということがわかりません。
ここからいなくなる?ファ~って消える?
痛いの?熱いの?

親として、答えづらいんですよね、死ぬという事。

みなさん、生きてこそですよ。
日照ノ秋人です。

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先日、葬式に行く機会があったのと、 私が読者登録している方の記事に影響を受けて今回の記事を書きます。


www.ohji-island.com


こどもを葬式につれていく

人の「死」について学びたければ、葬式に連れていくのが一番です。
ただ、そんな都合よく近親者が死ぬわけでも無く、 「子供に死を教えたいからさ、そろそろ○んでくれまいか」なあんていうひともいませんし。 え、いるの?

奥方のおじいちゃんが亡くなったため、一家で赴くことになりました。

畳の上で寝ているおじいちゃんを見て、まわりで忙しく準備をしている人を見て、 普段会わない人たちを見て、ただならぬ雰囲気を察した我が子でしたが、 意外と皆が和気あいあいとしているので、

人の死=悲しくない

と、思っていたのでしょう。

通夜はみんなでご飯を食べた。
和気あいあいとして楽しかった。
明日のお葬式もそんな感じだろう・・・と。

棺に入れる直前に

最後のお別れとして、親族全員で棺の中に天国への旅路を良いものにさせるため、 いろんなものを入れていきます。
亡くなったおじいちゃんに声をかけながら、みんな泣いているのです。

いきなりそんな雰囲気になった状況を飲み込めないのかはわかりませんが、 我が子も号泣していたのです。おじいちゃんに今まで会ったこともないのに。

悲しみのモードはそこだけで、あとは淡々と、粛々と、皆和気あいあいと お葬式は進行していきました。

骨まで拾わせてもらい、子供にとっては貴重な体験だったと思います。

人が死ぬということを真剣に考えた

お経にはどんな意味があるのか、棺に入れた道具の数々はなにか、 焼香はどうするか、わからないだらけの我が子は私を質問攻めにしました。

お経はこれから逝くひとがいると天国に伝えることだよ、 棺に入れた道具は天国にいく道すがら退屈しないようにするものだよ、(我が子の手紙を入れましたので) などなど、私でも正しいのかまちがっているかわからないのですが、それなりに答えます。

お葬式のながれとか、49日とか、ずっとそんな話を我が子としていました。

私がそのとき思った事

お葬式となると、近しい親族が一堂に集結します。
私の結婚式にきてくれた人や、会ったことが無いけれど私を知っている人。
普段会ったりしないひとと、行動を共にし、飲食を共にし、 悲しみを肴に、でも楽しくお酒などを飲み、泣いたり笑ったりします。

人が死ぬのは悲しいことです。

ですが、最後に皆を集めるだけのチカラが人の死にはあります。

普段会えないひとに会えただろ?
楽しくお話しできただろ?
悲しみはちょっとでいいよ、
今その時を皆で楽しみなさい。

と、おじいちゃんに言われているようで、悲しい中に嬉しさがありました。

通夜とは、お葬式とは、ひょっとしたらそういうものなのかも。
と、いい歳こいてわかったような気がします。

子供目線の感想とは

で、楽しかった?と聞くと、「楽しかった」といいます。

おじいちゃんも「楽しかった」なあんて言ってるとわかったら喜んでるかもね。
今頃、棺に入れた手紙読んでるかな。
そんなことを言いながら帰路に就いたのですが、やはり子供からみた 父親と母親の死は「楽しかった」では済まないのだろうなと思いました。

私自身、両親は健在ですので、どんな気持ちなのかは体験できていませんが、 我が子が幼い時に、親である自分の死を見せることは絶対にしたくない。

子供にはやっぱり酷ですよ、だから親は必死に生きなきゃいけないんです。

マトメ

私は「輪廻転生」というものが好きです。
肉体は滅びても、魂は無くならない。
そう考えなきゃ、死ぬことが怖くてなりません。

だからこそ、人の死を食い物にする悪徳宗教にはちょっとアレです。

死んだら導かれなきゃ進めないのか?
最後まで自分の魂は自分で運べ!と私は思うのです。

死ぬことは次の人生への旅立ちである。
だから怖くないんだ。

子供に贈ったことばです。