ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

ながらスマホ 子供が犠牲になるのは耐えられん

先日このワタクシ、うかつにも社会的なことを書いてしまいました。


hiderino-akihito.hatenablog.com


意外にも読んでいただいた方が大勢いたことに驚いたのですが、 私がほぼ「放置状態」にあるツイッターリツイートをいただいたことにより、 世間の「ながらスマホ」に対し、なんらかの感情を持っている方が 私が思うよりも多くいることを自覚しました。

みなさん、歩きスマホなんてしてませんよね?
日照ノ秋人です。

私の書いた記事(記事っていうほどのものか?)はただ単に、 スマホ首なんてカッコ悪いし可愛くない」とナンパなことを言いたいだけのものでしたので、 読んでいただいた方には「期待していたのと違う」と思わせてしまったのでは ないでしょうか。

それゆえ、今回は世間から白い眼を向けられているにもかかわらず、 それに気づいていない、気づこうとしない「ながらスマホさん」について オピニオンと鼻の穴全開で書いていきます。
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歩きスマホは「我慢」ができないひとなのか

自分が前に進んでいながらスマホを見るという行為は本当のところ、 「スマホを見ながら前進している」ワケで「歩いている」ことがメインではなく、 注意を周囲に放っているどころかスマホに向けて意識フル回転の状態です。

それで、周囲の人にぶつかりそうになったなら、

「俺様がスマホを全身全霊で見ておるのに、邪魔をするとは何事だ」

という謎の感情を抱き、周囲に攻撃的になるのです。

それなら、誰にも邪魔されず邪魔されない状況下で 心おきなくポテチでも食べながらパンツ一丁で見ていればいいのに、 大勢ひとがいる状況下で、さらに服を着こみながら、さらにさらに 前進しようとしているのです。

そしてそのことを情けないとは思わないで誇らしげに正当化してしまうのです。

多くの人は、「そのこと」を理解できません。 誰にも邪魔されない状況になることが難しい日常なので、 綿密にスケジューリングし、「誰にも邪魔されない時間」を作り、自分にとっての崇高な時間として オノレを解放するのです。(ひとによってはパンツも脱いでしまうほどに)

もちろん崇高な時間にするためには、仕事をする、勉強をする、 自分の活動しなければいけない時間には我慢をする必要があります。

我慢が多ければより崇高になる。

それを知っていれば、有意義な時間を濃密にできるのですが、 そんなこともわからずに、我慢しきれない人が多すぎると思うのです。

民主主義をふりかざすひと

民主主義はさぁ、要するに多数決っしょ?
数が多ければそれが正しいってワケ。
はい、論破。

いますよね、こういうの。
民主主義を履き違えていらっしゃる。

みんながながらスマホをしているのなら、 ながらスマホが正しい日本の健康優良児であり、 私もアイツもあの子もあの子のとなりの甲斐性が無さそうなおっさんも み~んな民主主義の下では「正しい国民」として称賛されるべきだ。
などと白昼堂々言ってしまう。

ならば君よ、そんな君よ。

歩きスマホをしてる君に「クルマ運転スマホ」の車がぶつかってきた。
君はスマホ経由で天に召されてしまったとして、 多くの目撃者は歩きスマホスマホを見ていたにもかかわらず、 「車を避けられなかった君氏が悪い」と口々に証言し、 「民主主義だから~」という理由でそんな君が「正しい国民たち」から 死して「罰」を受けたとしたらどうだろうか。

あ、そっかぁ、100キロのスピードで車が突っ込んできたんなら、
オレっちが200キロのスピードで逃げればよかったんだ、えへへ。

なあんて思うだろうか。

「みんながやっているからオレっちもやっている」では周囲の人たちを納得させる理由にはならないし、 「で、お前っちの意思は無いんかい」と逆に言われてしまうでしょう。

意思は在る。
それはスマホを見ながら歩くことだ。

と、胸を張って言われても、多くの人たちはひらがな一文字でこう言うでしょう。

「で?」と。

行動に多くの人を納得させる厚みがない

単純に言えば、「ペラい」んです、行動が薄い。

それイコール「人間」をあらわしてしまう。

だから私は以前の記事で、「モテへんで」とナンパなことを言っていたわけで、 歩きスマホをしていることがすでに「薄っぺらさ」をあらわしています。

なにかにつけてスマホを見ていそう。

デートプランも、ご飯を食べに行く場所も、結婚式場も、産院も、 葬儀屋も、火葬場も、墓地も。

決して皆がそんなわけではないのかもしれないのだけれど、 「やっていそう感」は払しょくできないのです。

今は少年法の見直しなどもあり、学生諸君も「いい歳こいて」と言われてしまうのですから、 「いい歳こいてスマホばっかり見て~」という 言葉が飛び交う国、ジャパンになってしまいそうです。

いっそのこと中のひとになっちゃえばいいのに

そんなに好きなら、人間の外見を捨て去って、 コルタナのようなポジションで、スマホの中に入っちゃったらどうだろうと 私、思うのです。

居心地いいですよ、なんせシステムに自分が組み込まれているんですから。
私みたいなやつにとやかく言われなくなってキヨキヨしいですねぇ。

でも、スマホって、ぺラいんです。
やっぱりペラいってことで、納得してください。

ながらスマホでも許せる場合

私のブログは、一応「子育て系(自称)」ですので、あくまで子育て目線なのですが、 ながらスマホが許せることもあります。

子供が寝ないので抱っこをして寝かせる。
眠ったので布団に寝かせると起きて泣く。
結局また抱っこする。

子育て中のママさんはほとんど皆、経験されていると思います。
この状況下では、パパさんは圧倒的無力
母親にしか「寝かしつけ」は出来ないんです。
と言うより、子供は眠ることより母親のぬくもりを求めているのですから。

しかし、簡単に眠らない我が子にストレスを感じるママさん。
家事も、やりたいことも出来ず、ひたすら抱っこすることに専念するのは 精神的にも良いとは言えません。

だったらば、子供を抱っこした状態でスマホでもいじってしまいましょう。
そういう使い方なら私は問題ないと思うんです。

もちろん、子供を落っことさない高さ(座る)と、子供に光を浴びせない配慮は 最低限気を付けなければいけませんが。
子供にとって親がリラックスできている状態は安心で、天使の寝顔で眠ってくれることでしょう。

歩きスマホで一番罪なこと

公道でベビーカーを押しながら、なおかつ歩きスマホするのはもはや論外。

絶対にやめていただきたいのです。

無垢なる子供が、くだらない親より前にいるんですよ。

車が来ていることに気づいてなければ、一番最初にぶつかるのは先頭の子供。
ベビーカーに乗せられれば、自らの意思でブレーキをかけることは不可能です。

そういった親たちは、自分の子供よりスマホのが大事なんですね。
f:id:hiderino-akihito:20181006230807j:plain ベビーカーを押している最中に声をかけたりすることで、 言葉の発達にも影響があるというのに、子供そっちのけでスマホなんですから。

だったら無垢なる子供のために、子供最優先スマホなんか触ってないで、 しっかり向き合うべきだと思うのです。

終わりに

子供と向き合わず、
まわりがやっているからやる。
みんなやっているからやる。

結局そんなノリなんですよね。

いい歳こいて、ゲームにうつつを抜かし(場所と時間を考えよう)

ラインだかボインだかで辺り構わず友人知人とフリック入力合戦をし(場所と時間を考えよう)

くだらない噂話やニュースを人にひけらかす情報として取り入れている(新聞かテレビニュース見なさい)

ネットの情報なんて、はっきり言ってクソみたいな間違いだらけ記事ばっかりなんですよ。

私もムカデの毒の処置で騙されましたがね~(あの医者ウソ書きやがって)


hiderino-akihito.hatenablog.com


最近はネットビジネスがどうとかって「有益な~有益な~」って薄っペラ冷たい コピペ記事まで複数内容がかぶって登場し、必要でない情報まで必要以上に詰め込んじゃって、 もっと脳みその使い方あるんじゃないの?って思うんですよ。

脳が疲弊して、情報に触れていなきゃ不安定になってしまう大人に導かれる子供。

長い間、おなかの中で育まれ、おなかを痛めて命がけで生まれ出でた新たな命ですよ。

ベビーカーに乗せられて、そんな大人に気付かないで、天に召されるわずかな人生なんて 誰だって嫌なんだよ。