ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

子育てに正解なんて無い

人類って大昔から子育てしてますよね。

データも膨大にあり、言い伝えやら書物やらで「子育て論」たるものが蓄積され、 それが今でも相変わらずブログやら書籍となって多く語られます。

自分で子育てをしてみると、その「子育て論」たるものが凄くあいまいで、 的を得ているものもあれば的外れのものもあることに気づきます。

で、結局は「子育てに正解なんて無いんじゃないか」という話。

みなさん、頑張ってますか?
頑張りすぎなくていいんですよ。
日照ノ秋人です。

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考えすぎ

子供が出来、親としての責任を背負う自覚が出来ると、 とにかくわからないことを調べたくなります。

なんせ、子育てを学校で学ぶことはないのですから。
自分の親に聞き、本を読み、ブログも見ちゃったりなんかして、 理屈や理論を知識として蓄積していきます。

そして、自分の親のしていたことと、現代の子育て理論があまりにもかけ離れていることに気づき、

で、何が正解なんだ?

と首をかしげたまま出産、子育てへと入っていきます。

答えがわからないことと、苦労して生まれたわが子を無下には扱えないことでパニックになり、 疑心暗鬼になるのです。
もう、心配で心配で。

そんなことを子育てを終えた世代に相談すると皆口をそろえて言うんです。
「考えすぎ」と。

割と放っておいていい、手をかけすぎ等々、

え、そんな感覚なの?

と思ってさらに疑心暗鬼になるのですが、 私も小学校低学年の子を持つ身として、「ちょっと考えすぎていたな」と痛感するようになりました。

おとなのものさしでは子供にあわない

寝なきゃいけない。
ご飯を食べなきゃいけない。
体を休めなきゃいけない。

我々おとなが今までの人生で学んできたことを子供にできるだけ教えようとするのは、 自然なことだと思います。

でも、子供におとなのものさしは何ひとつ合わないと私は痛感しました。

極端に言えば、

寝なくても少しは大丈夫
食べなくても割と平気
「体を休める」という意識はない

といったところです。

子供は欲に対してストレートです。
遊びたい、甘えたい、といった欲望が
ねむい、おなかすいた、に時として勝ります。
食事中に寝てしまうのも、「ねむい」が「おなかすいた」に勝っているからですね。

甘えたいけど、とりあえずねむいからから寝る。
遊びたいけど、とりあえずおなかすいたから食べる。

といったことが子供にはできません。

ねむいけど甘えたいから寝ないし、おなかすいたけど遊びたいから食べないんです。

だから無理に寝かせなくていいし、食べさせなくてもいいし、 休ませる必要もないのです。
子供は極限まで動いて、限界を超えたら場所も考えずに突然「おやすみモード」に なるわけですから。

情報が多すぎて何が正解かがわからなくなる

現代は情報過多で、いろんなケースにあわせての対処などが、 細分化されています。

もちろん、子育て=データ でしかないのですから、こんな形や表現になるのは致し方ないんですが。

我が子に対して「このケースはコレ」と当ててしまうと、 その通りに我が子が動かない場合、親としてはパニックになります。
情報通りにならない、と。

「方針」程度なら良いのですが、SNSやLINEに慣れてしまった現代人は、 スマホの画面に表示された情報が、反射的に「答え」として唯一無二なものと認識する悪癖を身に着けてしまっています。

それが「方針」にとどまらず、「答え」になってしまいパニックになるのです。

正解だと思っていたことが正解ではないことに直面すると一体なにが正解なんだろうと思ってしまうのです。

子育てに正解は無い

子育てに正解がないのなら、正解を作るのは親。
つまり、何にも惑わされず自分の思うようにすることが実は大正解なのだと思うのです。

子供は自分とパートナーの分身のようなもの。
自分の「感覚」を受け入れるのは子供にとって容易いのです。

他人の子供に合っていたことが我が子に合わなくたって何の問題もありません。
人間の子供は大量生産されたロボでは無いのですし、 親にとっては自分によく似た他と比較できない、する必要もない存在なのですから。

本に載っていたとおりでなくて良いし、ブログ記事の通りでなくて良い。
この際、正解を作っちゃいましょう。
子供のことをしっかり考えているのなら作っちゃいましょう。

それが我が子にとって最高の「答え」なんです。
大好きなパパ、ママが導いた「答え」なんですからね。


こちらもよければおねがいします。

hiderino-akihito.hatenablog.com