見てください!このエビ天~!
おおき~い!食べきれな~い!太っちゃう~!
なんと!5尾もどんぶりに乗ってる~!
そんなテレビを見ながら我が奥方が言う。
「まずそう」
みなさん、おいしそうですか?
日照ノ秋人です。
そんなこと言ったらダメでしょ。
作っている人の身にもなりなさいよ。
「思っても口にしない努力」を意識しなさいよ。
我が奥方は元料理人
調理を仕事にして、大勢の人に食べさせる「料理人」って圧倒的に男が多いのです。
まあ体温が安定しないので、味覚が安定しないからなんですが(なんでも、それが要因で味噌汁に飽きないとか)、味云々よりも見た目の気配りは、やはり女の方が何枚も上手です。
私の奥方は「旅館」の調理場で「割烹料理」を作っていたのですが、冒頭の「エビ天が5尾乗った天丼」を見て、「見た目もクソもない」とか、「まるでウン子」などボロカスに言っていたので、
じゃあさ~奥方、どんなのなら良いのさ~
というお話。
割烹料理すらボロカスに
じゃあ、自ら手掛けてた「割烹料理」はそんなに崇高なのかよとかみついてみたのですが、
割烹料理なんて、大勢の人にふるまえる完全な「料理人側の都合の料理」であり、あんな「冷たしょっぱいだけ」の「作り置き料理」なんかおいしいわけがない。それだったら、アツアツのうどんとか牛丼の方がおいしい。
なあんて言うんですよ。
それだったら別に冒頭の天丼でも、アツアツだったら良いんじゃないかと思うんですが、その天丼には料理人の屈折した心が見えてしまい、食べたいとも思わないとのこと。
屈折した心とは
その天丼も、旅館のように旅行客向けのメニューではありました。
旅行客向けなんだから、インパクトがあって客引きに良いんじゃないかと思っていたのですよ、ワタクシ。
だって、「インスタ映え」が旅行のきっかけになってる現代ですからね。
しかしそれに対し奥方、
たとえ遠方からやってくるお客さん相手とはいえ、料理をインパクト重視にすることはなく、「少し物足らない」程度の加減で作る。その理由は大満足を提供してしまうとリピートしなくなり、一見さんで終わってしまうのは、観光で儲けている街にとっておいしくない。
とのこと。
観光都市は、ただの客引きで終わってしまうと大損なんですね。
宣伝の費用やら試作など、街が一体になって人を呼び込もうとしますから。
やはりリピーターを見越して「観光地」は作られているようです。
つまりは、すべてのサービスがそこそこ満足であること。
それで料理も「少し物足らない」程度にする・・・。
それじゃあリピートしないんじゃないか!と思うのは完全に現代人のモノサシ。
少し物足らないけど、手を抜いているわけじゃなく、あえて「そのくらい」を狙って料理人は作っているのです。
冒頭の天丼は、とにかくインスタ映えを狙いすぎてインパクト重視のメニューになってしまってます。
奥方から、「あれを完食して、また食べたいって思う?」と言われると、「う~ん、確かに」と思っている自分がいました。
屈折した心とは「リピーター」を意識していないという事のようです。
オトコすぎる
あの天丼の見た目からして、「絶対にオトコが考えたメニュー」と断言してしまった奥方。
盛り付けの美、仲居さんが運んでくる美、仲居さんが配膳する美、そのあたりの意識は女性の方が良いと私も思うんです。
私の仕事(料理人ではありません)でもそうですが、「見た目の意識」が書類ひとつでも男とは違いすぎると感じるのです。
天丼のあの「雑感」といい「インパクト重視」といい、指摘する女はいなかったのだろうかと怒りの奥方。
パッと見で「でかいウン子を彷彿とさせる」とまで言ってしまい、ああ、レディースデイが近いからかなぁ・・・。
と私氏約一名は仏の顔でうなずくのです。
職場に男が蔓延すると、そういった観点がなくなります、まさにゼロ。
男はどうしても生産性と結果を気にしすぎているからだと思うのですが、 多少生産性を犠牲にしても、主婦とか家庭の仕事もしている人生経験のある女性を登用することで、「見た目の補正」をすることは可能です。
ただ、この現代では冒頭の天丼のように「インパクトだけ」でひとが動いてしまうので、「見た目の補正」をする必要がありません。
女性が「働きにくい」という状況は「インパクトだけで良い」という
現代人の発想から脈々と来ています。
女性の男性にない「センス」が、現代では必要とされていないんですね。
それじゃあ、観光地も危ないぞ。
着地点がそもそも違う
客が満足するポイントが、昔と今ではまったくちがいます。
割烹料理は極端に言えばメインの何か、肉が有名なら「肉」を際立たせる。一緒に並ぶ他の食べ物はただの雑魚キャラにすぎない。
この奥方の言葉からして、着地点はメインの「肉」で客を満足させるのですが、 現代の着地点はインパクト大の「初見」なんですね。
そして初見で全てが終了する。
またあたらしいものを開発する。
トレンドの自転車操業。
こういうの、見たことありますよ、ワタシ。昔の「バブル」ですね。
とにかく派手、店構えも派手、バカでかい看板と謎のオブジェ。全てがインパクトできまってしまう時代、バブル。今の感覚はそのバブルに酷似しています。
未だに店がつぶれたにもかかわらず、そのバカでかい看板とオブジェが撤去されずに残っているのを目にしますが、片づけるところまで考えていませんでした~感が満載ですよね。
盛り上がっているところが着地点なのだから、飽きられて盛り上がらなくなるのも時間の問題。
後片付けは知らん!
無責任だなぁ・・・。
マトメ
インスタ映え、よろしい。
けれども、その影響で「やりすぎ感」が出てしまい、バブル時代と同様、品性と節度がなくなった現代。
リピーターを獲得し、時間をかけて価値を高めることよりも目先の利益なのだから、一つの職場でずっと働くというのが時代的には難しいのかもしれません。
私の奥方が料理人をやめてからというもの、ナントカ吉兆やら「老舗の料亭」というものの「いい加減な仕事」で成り立ってきた奴らが淘汰されたように、ひとつの確立された業種では長い時間で「雑な仕事」が進行してしまい、結局破滅を招くのでしょう。
インスタもブログも、儲けの道具として今は「アリ」かもしれませんが、目先の利益を求める自分ではなく、自分の価値を高めること。そして自分の価値を高めるだけでは、社会的な価値にならないこと。
社会的な価値を見極めるために、一つの職場でも少しずつ変化が問われていると「天丼食いたい」と思いながら考えるのです。
天ぷらを一生分作ったから、作りたくないし食べたくない。
と言う奥方。
私は食べたいんですけどねぇ・・・。
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