ブログを始めてずっとモヤモヤしていたことがありました。
厳密に言えばブログを始める前からあったのですが、 参加しないで参加者の心理を知る事や、それに対する文句は言えないなぁと思い、 それなりにブログを続けてきました。
ワタシから見れば強大な読者数&プレビュー数を誇り、 大勢を引き連れてそそのかす先輩ブロガー達がなにやら騒々しくって、 やれインフルエンサーバブルがどうだのやっとるわけですよ。
そりゃあ私の様なPV数が「1日平均10名程」のゴミの様なブログ書き男なんて 眼中にないんでしょうが(それなのにいつも見に来てくださる方々には感謝しかありません)、サロンだの情報商材などで儲け話を振りまく方々や、それに反論する方々のやりとりからワタシなんかは「ああ、また売り上げを共有してらぁ」とあきれ顔になっとるんですよ。
もちろん、そんなことでわざわざ私のブログ記事としたくないし、 今までもイケダパヤパヤさんなどは面白おかしくいじらせていただいて、 どちらかといえばむしろ友好的に「日和見」を決め込んでいました。
私も彼らの信者側かアンチ側かで乗っかれば、PV数も読者数も竜が天に昇る如く エグイ角度で上昇するのかもしれませんが、それでは私が彼らの「ただの2番煎じか2千番煎じ」になっただけですから、ブログにオリジナリティを掲げて「1日約10名程」に くだらないことを提供する理念とはかけ離れてしまうんですよ。(提供という言い方はおかしいですね、あと理念という程のブログでもないのですが。)
気にする必要もない、放っとけばいいんですよ。
と言いたくなるのでしょうが、あまりにも大騒ぎしすぎで、 ブログを仕事とはしないでただ楽しんでいるだけのワタシの様な方々には、 「ブログをやっている奴って、胡散臭いし、理屈っぽいし、すぐカネカネ言うじゃん」という声が聞きたくないのに聞こえてしまうことに残念に思うんですよ。
ああ、私も同類にされてしまった。
私が冒頭で書いたモヤモヤとは、私は線を引いているつもりでもブログをやっていることでいつのまにか「同類」とされてしまうんじゃないかという懸念のことでした。
もちろんお金を儲けるということが悪いわけではないんです。
わかってるんだけれども、「なんで一緒にされなきゃいけないの?」とも思うんです 。
今回の騒動は、こんな弱小ブログのひょうきんな中の人にも不本意に「うっかり」耳に入ってきて、バブルがはじけた時の証券取引所の床の紙切れのように脚蹴りにされて、
「きみはなにを理由にブログをやっているんだい?」と放心状態の顔で言われても私は知らんよ。
ブログという言葉の森を汚すなよと思うばかりなのです。
はてなブログは「思いは言葉に」ってキャッチですが、ブログをやっていない人々からすれば
「思いはカネに」になっとるじゃないか!お前も同類だろ?
という印象なのですね、それがとっても残念。(私は「想いは言葉に」としてほしい)
森の中の獣道を自分のペースで歩き、並んだ木々、生い茂る草葉を眺め歩いていたら、「たくさん木があってこんな道じゃ歩きづらいだろ?」と言って木を散々なぎ倒し、道は広がったけれどもこんなはずじゃなかったのにと立ち止まっていると、
「ねぇ、なんでこんな道を歩いているの?」
と聞かれた感じ。
私のみならず、悩み、愚痴、どこにも吐き出せない想いを乗せてブログ活動をしている
人が大勢いるのですから、みんな「ひとくくり」にされてしまうのは
アナタ女優だけど、バラエティ番組出てるから肩書はお笑い芸人ね。
とされてるようで、いい迷惑だと思うんですよ。
理屈に次ぐ理屈の理屈っぽい屁理屈でブログ界を荒らして、最後には「自分で考え行動することが大事」なあんて締めくくられたら、私は思うのです。
それはあたりまえだろう、と。
あたりまえのことがあたりまえの思考となっていないのに、インフルエンサーに影響されてみんなで一緒に頑張ろう! って言ってるのは、利益を共有したいわけじゃない。
ただ単に一人で行くのが「怖ぇ」からであり、自分の信じた道を行く君に、誰かが「間違ってないよ君は」と言ったり言われたりしたいだけに見えるのだ。
それに感化される者も者だが、社会で挫折したり、社会に出ないで挑戦したり、 心の病でいたしかたなく感化されてしまったりと、ある意味で「社会のせい」にできる土壌に、インフルエンサーの儲かり話はまぶしかったんだろうなと思うが、 「金」にまつわる良い話というものには、往々にして裏に「何かある」ことはみんなわかってる事。
邪教やマルチ商法など「カネカネ言う」奴らは絶望やお金の不安を抱いているひとの多い「病院」で勧誘するらしいが、そんな「みんなわかってる事」も最高潮の不安の中では蜘蛛の糸の様にまぶしく映るのだろう。
蜘蛛の糸、みんなで引っ張って切れちゃった。残念だったな君は。
なあんて私に言われたって、君らと一緒にしないでよと思うのだ。
私は子育ての話などを書いているが、子供を作るのは完全に親の都合。 子供が自分の意思でできるわけではないんです。 だから新しい命を無下にせず、正しい人になるように教育する義務がある。 親には最大級の責任がある。
思想を植え付けるのも親、それがたとえ過激なもので洗脳であっても子供は吸収し人格を作るんです。
親としては自分で物事を判断できる年齢になるまでに
「自分で考え行動することが大事」
ということと、
「安易に軽い話に流されないこと」
というあたりまえのことは教育できていなければならないと思う。
「こんな大人になっちゃいけないよ」とも。
ここまで怒りに任せて書いてしましました。
口調やらが変わったりと変な文章になってますが、校正しないでありのままを載せます。
カレーをいただいて落ち着いたので、落ち着いた心理状況で以降進めます。
私に何があったかは聞かないでください。
聞く人もいないと思いますが(^^)
私が疑問に思う事があります。それは、
なんで群れたがるの?
ということ。
ビジネスで利益を共有するのは良いことかもしれないのですが、 ちょっと共有の幅が広すぎると思うんです。
こんなにたくさんが影響されて、みんな利益を甘受できているかは疑問です。
自らのブランディングに成功し、企業から「あなたに宣伝してほしい」と言われる レベルになっているならここまで広くしないし、競合他者を増やしたくないでしょうから、もっと狭くやると思うんです。
それなのに、ブログ界のインフルエンサーったら仕掛けるだけ仕掛けて、誘うだけ誘う。
利益はみんな俺のモノ!
って丸見えなのにもかかわらず、俺も俺も!の人たちが2匹目のドジョウを狙っていく。
それが「楽(ラク)」だって言うから群がってくる。
企業の広告も、そんな「ラクしたいだけの2匹目」には興味ないんスよ。 金儲けたるや、だれもやっていないことをやりながら、自らをブランディングした末に 「切り開いた者」になるのが一番手っ取り早いんです。
だったらさ。
ブログだ有料記事だって、「誰かさん」と同じことしてないで、 野望があるならば、自信があるならば、「切り開いた者」を目指すべきではなかろうか。
社会に心が病んだなら、社員が病まない企業を作ったらどうか。 今の大手企業なんか、若者に対して「病んでしまう方法」でしか教育出来ないのだから、弱体化する一方。
我々40代とその下の世代は、上の「バブルで遊びほうけた世代」には「No!」をつきつけ、古き悪しき社会に引導を渡すときなのだと思う。
「次にインフルエンサーはなにを仕掛けるのか」
なあんてのんきな事を言ってるひともチラホラいるが、仕掛ける側になりたくないのか?いつだって「切り開いてもらってからしか動けないのか?」とも思ってしまう。
ホリエモンもイケダパヤパヤも、あそこまで切り開いたんだから立派。 若いんだったら若さで「ホリエモンもイケダパヤパヤも古いからどけ!」くらい意気込んでいただきたい。 それが本当の挑戦だと思う。
革命はいつもインフルエンサーが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるからいつも過激なことしかやらない。しかし革命の後では、気高い革命の心だって同業者と大衆に呑み込まれていくから、インフルエンサーはそれを嫌ってアンチからも信者からも身を引いて世捨て人になる。
どっかで有名なセリフをちょっとアレンジしましたが、まさに今はそんな感じ。
今まで儲けた金を持って「世捨て人」ではなく「自由人」になって逃げるシナリオは 当然あったと思うし、それが彼らの「儲け」になっているのだから、 「ラクしたいだけの2匹目」が利用されてるのが真実。
「円天」を仕掛けたマルチの「L&G」もそうだったが、支援者は儲かっているようで 全く儲かっていなかった。それどころか「仕掛けた奴ら」に持ち逃げされ、洗浄され、逮捕されたけれども今後ものうのうと生きられるかもしれない「仕掛けた奴ら」に利用されたのは、多くの支援者だった。「ラクして現金が手に入るよ」とそそのかされて。
目を覚ませと私が発したところでなんの意味もないが、「ラクしたいだけの人たちと一緒にしないでよ」とこちら約一名は怒りに震えるのです。
なあんて言っても弱小がゆえ炎上しないから私は私で楽だし、こんな記事ずっと載せたくないから、次回、明日、ボツにした記事
「リストラの影にインフルエンサーの影あり」
をお送りいたします、んがぐぐ。
読み返すと自分が一番理屈っぽいッスね・・・。