ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

短所を自覚しすぎていませんか?

ひとにはそれぞれ、得意なこと、不得意なことがありますね。

ひとの記憶というのはなぜか「良いこと」より「悪いこと」 の方が強く残りますよね。

そんな嫌なことならさっさと忘れてくれればいいのに、 記憶ってやつは嫌なものですねぇ。

みなさん、覚えていますか?
日照ノ秋人です。

嫌なことが身にしみて、遠ざかりたいのにそうはさせてくれない体の不思議。

過去から学ぶことは大切だが、未来を描くことも同じくらい大事。
今回はそんな話。

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長所と短所

 短所:劣っている点、至らない点。

あなたに短所はありますか?

私はありますよ、短所だらけ。
頭悪いし、気が利かないし、気配りは出来ないですし、うるさいですし、 くさいですし、頭悪いくせにブログなんか書いちゃうし。

書き出したらキリがないくらい。

では、長所はありますか?

長所:得意な点、優れている点。

私はあるんでしょうが、「それは何か」と聞かれたら、 「う~ん」と答えるしか無いでしょうね。
つまりそんな程度。

不思議なもので、長所は何かと聞かれて「はい!ボクは・・・」とスラスラ答えられると、「本当かよソレ」って感じるんですよね。

・・・私だけでしょうか。

人にはもろいところを見せた方が人間関係はマイルドに済む。 だから短所だけを自分で理解するのだろうなと思うんです。

しかし短所を自覚しすぎると

ネガティブ人間になってしまうんですよね。
逆にポジティブであることを「気持ち悪い」とも思ってしまう。
すると、「積極的に何かを行動しよう」とは思わなくなってしまうんです。

行動を起こす前に頭で考え、浮かんだ己の短所に屈してしまう。 自分が何も出来ないひとなのだと自覚してしまう。 よって行動しないし、したくない。

まわりの誰かが、
「行動しよう」
「行動しなきゃダメ」
なあんて月並みなこと言ったところで、少しも響かないんですよね。

じゃあ少し、自分の長所を探してみましょうよ。
ほんの少しで良いんですよ、人より出来ているんじゃないかということ。

私も探してみましょう。
食べるのが速い、女子の対して惚れっぽい、まつげが長い、 カレーは食べ物だと思っている、くだらないブログを書いている。 それもなんと、1日に10人ほどがブログを見に来てくれる!

あるじゃないですか、私にも。

無いと思っていることなんて、たいがい見つけにくいだけであって、 あるんですよ、誰にでもきっと。

行動は勘違いから始まる

自分でほじくりだした長所を自覚したとき、 ひとは思いもよらない行動にでます。
それがだいたいの場合「勘違い」がきっかけだったりします。

歌がうまいねぇと褒められたから歌手をめざす、 絵が上手いねぇと褒められたからイラストレーターをめざす、 野球が上手いねぇと褒められたから野球選手をめざす、

勘違いから起こした行動が「目標」を生んで、 強く願えばそれが「夢」になる。

長所を自覚したことで「夢」にまで変化するのですから、 人間って凄いですよね、それともただ単にバカなのかな。

長所を自覚しておいて、短所を自覚しないっていうのも変だと思うんです。

それで悩むんです、短所を克服するのか、長所を伸ばすのか、を。

子育てについて

自分の子供について、奥方と長所と短所について話をしました。

我々の意見は一致、ズバリ「長所を伸ばす」ということで。

理由は、短所を克服する時間を長所を伸ばすことに使いたい。
という理由です。

24時間は皆に平等です。

その配分なんてものは子供にはできませんので、 ある程度親がシャシャリ出て決めてしまうんです。

それが長所の為につかうのか、短所のためにつかうのかはもちろん自由。

しかし「学校」というところは、平均を求めます。
通信簿の最高評価がきらめくよりも、最低評価が出来るだけ無いことを望むんです。

だから、自分の長所を自覚出来ない我々おとなのようなポンコツが、 パァ~っと世に放たれて、「うわ~自分は短所ばかりだな」なあんてブツブツ言うのです。

学校のせい、社会のせいにすることは簡単ですが、そんなショボくれた学校だの社会だのなんか無視して(もちろん社会のルール、モラルは守った上で)我が子には長所を伸ばして目標を見つけてもらおうと、ここのダメ親約一名は願うのです。

短所ばかり自覚するんじゃないぞ、君には長所があるじゃないか、と。

マトメ

ひとそれぞれ自由なんだからまとめられないんですが、 子供には「自由」というものの中で何をしたら良いかなんてわからないんです。

よく、「オマエの人生なんだから好きにしなさい」なあんて言うひともいますが、 子供にそれは「仕打ち」のようなもの。
大海原にポイされるのに等しいのです。

ロケットだって、方向指示や補助動力など人の補正がついてようやく宇宙へ 正しいルートで飛び立ちます。

ひととロケットは違いますが、ある程度導くことが子育てに必要と思っています。

では、いつ「導くこと」を辞めるのか。

子供が飛び立つ時のこと、まだ考えたくないなぁ・・・。


こちらもおねがいします。

hiderino-akihito.hatenablog.com