ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

夢と使命 ー思いは言葉に。ー

ひとは歳をとるとなくしてしまうものがある。

肉体的なものじゃなくて、もっと精神的なこと。

そういえば、若い頃描いた夢はどこにいったのだろう。

みなさん、夢はありますか?
日照ノ秋人です。

そういえばあの頃の夢、どうしちゃったかな?

あの頃は若かった

あなたにも、何の根拠もない変な自信ありませんか?

自分のセンスならば、他の人よりも素晴らしいものが作れて、 なんだか尊敬され、崇め奉られ、大勢の目に触れられ、そして晒される。

変な自信で大きな夢を描く。
これが若さだったと歳をとった今、つくづく思うのだ。

夢を描くのは良いことだが

もちろん、夢に情熱をかけなければ成就するかどうかの可能性はまったくのゼロ。

思い描いただけでは夢なんて叶わない。

しかし、自分の頭で想い描いたものが現実となる事なんて、 いくら行動したって「夢」でなくともなかなか無い。

いつか夢破れ、途端に行き場を見失う日が破れし者には訪れる。

またそこから新たな夢を描く者、全てを捨てる者、途方に暮れる者、 金儲けに走る者、犯罪に走る者・・・。

ひとはひととして移ろい、それが人生として振り返ったときが幕を引く時・・・。

でも、人生というのは振り返り終わるものではなくて、今を生きるということ。

ひとというのは子供でも大人でも、可能性を少しでも持っているのだから、 見失っているヒマなんて無い、全く無いのだ。

たとえ夢が叶っても

努力が報われ、運に助けられ、夢を叶えた者だって、 結局は行き着くところは「夢が叶わなかった者」と同じだったりする。
夢が叶うことが「幸せ」かと言われたら、案外そうでもなかったりする。

幸福の度合いなんてそんなもの。
手に入れてみたら案外軽い。
ひとが、人生を一歩ずつ踏みしめて歩くことに比べれば、拍子抜けするくらい軽い。

だから見失う、夢に夢見た自分を。

自分で想い描いたものはあくまで「描いた」ものだし、 「そんなに思い通りには・・・」なあんて思っているのだけれど、 物事が夢に向かって、思い通りに行くことだって少しはある。

それは「己のチカラ」と思いたいが、たぶん違う。
だれにだって、一瞬の幸運は存在する。

だから見失う、幸運を引き寄せたと勘違いする自分を。

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それに比べて使命とは

人に使命なんてものはありません。
なぜ命を持って生きているかなんてわからないんです。

書いていないもの、昔からある書物や教科書には。
だから昔からそれはわからないし、理屈で考えたって無駄なのです。

しかし、育児とは・・・。

生まれた我が子と向き合うと、そこに「使命」みたいなものを得るような気がします。

ひょっとすると、

夢は自分の為。
使命は自分以外のひとの為。

ということかもしれませんね。

夢と使命

ひとがひとを育んで、想いを託し・・・。

いったい何を?

何を自分の子供に託すのだろう。

わからないですね、わからなくてもいいんじゃないですか?
そこまでが人に与えられた使命なんですよ、きっと。

だれにでもある可能性を子供達が自ら信じ、 歩んでいく人生の中の不安をできる限り取り除くまでが、 子供の親としての使命なんでしょうね。

だから想いは言葉にして残そう。
その時間はきっと無駄じゃない。

ー思いは言葉に。ー

はてなブログの理念とは、人生そのものである。

ブログ記事を書いている人、書こう。

誰のためなのかはわからないけれども、きっと誰かが見ているし、 これから見に来るひともいるかもしれない。

可能性は在る。
老いても、在る。

夢をあきらめ使命を持った時、たぶん見るのはまた夢。

こんなことを偉そうに書いた私も、きっとまた見ると思う。