ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

失敗と挫折

失敗と挫折は違うのか。

「失敗を繰り返せば挫折となる、だから失敗し続けないようにしろ」
と聖人のように唱えるSNSを拾った私は、猛烈に違和感を感じた。

ようし、私も聖人ぶって言ってみようではないか。

失敗にも挫折にも負い目を感じることはない

みなさん、いい歳こいてますか?
日照ノ秋人です。

失敗したらクヨクヨします。
しない人、いません。
いるとしたら、そのひとの周りのひとに仕事が増えたりと、 しわ寄せが行ってますもんね、絶対。

クヨクヨするな!

なあんて言うんですよ、軽々と。

そりゃあするよ、
一生懸命やったんだからさ。

本当は自分を褒めたいし、褒められたいけれども、 うまくいかなかったんだからさ、クヨクヨするさ。

でも失敗があって、
反省があって、
改善があるから
それが成長になるんですよ。

失敗は成功の素!なあんて言いますけど、 「改善」まで行かないと真の成長とはいえないんじゃないかと思うんです。

くじけるな!

くじける?
挫折ってことですかね。

挫折とは
自分が行っていることが途中でダメになること。 気力を失うこと。(とある辞典より)

ふむふむ。

「挫折」というのは、「失敗」と違って、 うまくいかなかったから辞めた。 やる気が起こらない。 など、自分で決めてしまうことなんですね。

では「くじけるな!」というのは、
「自分で幕を引くな!そうなる前にもっとがんばれ!」
というエールなのですね。

でも、
挫折ってそんなに悪いことなんですか?

失敗を糧に 挫折を転機に

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失敗は「反省」と「改善」を経て、 自分の成長につながります。

では挫折はひとを「成長」に導かないのかと考えると、 私はそれでも導くと考えています。

「挫折」を恐れている人はたくさんいると思います。

全てを手放し、全てをあきらめ、決起する心を無くしてしまう。 そんな絶望的なイメージがあると思うんです。

さきほど上で書いたこと、
もう一回書きます。
挫折ってそんなに悪いことなんですか?

全てを手放したのなら、それを転機に新しいことを始められるじゃないか、 リスタートできるじゃないかと思うんです。

それはキミがそういう経験をしたことがないからだよ。

なあんて言われると思うのですが、 それでもあなた生きてるじゃん。 ちゃんと呼吸して生きてるじゃん。

命を失ったわけじゃない、
心は折れているかもしれないけれど、 再起を誓えばまた始められるじゃないか。 その可能性はあるじゃないか。

自分の可能性に気づくことは、成長だと思います。 「挫折」だって成長の道へつながっているのです。

失敗が積み上げている過程ならば、 挫折は積み上げ始める機会である。
と私は思う。

結局積み上げる

拾い集めてきたこの全てのガラクタを積み上げる  すぐ壊れてしまうかもしれない  でもきっと何かの役に立つだろう

昔好きだった歌の歌詞の一節。

自分で積み上げてきた物は、 自分にとって価値のある物だと思う。

そのために無茶したり、嫌なことを続けたりと、 ひとは「積み上げた物」を抱えて必死に耐えようとする。

だから失うのは怖いし、途中で失いたくないんです。

でも、その積み上げた物が他の全ての人にとって価値のある物かどうかなんてわかりません。

ひとは自分でも気づかないうちに積んで崩してを繰り返しているような気がします。

それは全然おかしなことじゃないと思うんです。

ラクタを拾い積み上げる。
積み上げた物が全て崩れたりする。
それでもまだ生きている。

そこから少しだけ、ほんの少しだけ望む。

「希」な「望み」。
それは「希望」という。

結局ひとは生きている間、
「希望」からは逃れられないのだと思うと、 挫折も成長への道と思えるんじゃないかな、 なあんて私はカッコつけるのです。

挫折したって

私は華麗に0点をとり、危うく高校を留年しそうになりました。

hiderino-akihito.hatenablog.com

そのときは絶望感を味わいましたが、 (今思えば留年くらいで絶望感かと思いますが)
「失うものがなくなったのだからあとは這い上がるだけ」
という前向きな思考では断じて無く

「失うものがなくなったって思えない。このまま くじけてしまったら、もっと自分が墜ちていく、 自分を見失ってしまう。」

という強迫観念めいたものが沸いてきて、 もがき苦しみながらただただ必死になっていただけでありました。

挫折しても私は死なずに生きていた。
死を選ばず、生きてもがき苦しんだのですから、 そのときの教訓や想いが今となっては自分の成長の過程であった出来事として記憶に刻まれ、 苦しいときにふり返るのです。

挫折したって終わりじゃ無い。
挫折した後の世界も在る。
だから必死に戦わねば、と。

浪人生の知人。
1年、もがき苦しんだ彼はどうだったろうか。
今のところ、「おめでとう」という言葉しか用意していないのだが。