ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

自信があれば勘違いできるだろうが・・・

思うところがありはてなブログのトップペエジを見ていたのですが、 いつものようにいつものひとが登場して、 はてなもあれだなぁ・・・
と思っていたところ、とある記事に目がとまった。

それは「ライターを辞める」宣言の記事だった。

まぁ私なんぞが言及しなくとも、 スターが流星群のごとくベタベタと乱れ打ちされている記事なのであえて掘らないが、 どうも「病んでしまった感」があったので、なぜそうなってしまうのか考えてみる。

みなさん、スターですか?
日照ノ秋人です。

SNSをやっていると、「ライターになるっ!」という人もいるのだが、 自分の意見を発することが、どれほどのバイタリティが必要かという話だ。

オピニオンブログ

ブログをやっているとどうしても、「どの類い」なのかと カテゴライズされてしまうようだ。

副業として広告収入を得るために日夜アクセスアップに励むひと、 自分の体験談を綴るひとなど、様々なものがあるが、 その中でも「オピニオンブログ」と呼ばれているものがある。

まぁ自分の意見をパァ~っと書くようなものだと思っているが、 私のブログは「オピニオンブログ」と言えなくもない。 子育てを軸にしたものの、母親ほどに子育てを経験できるものでもなく、 ある意味「父」としての視点や失敗談などを綴っているだけなので、 なかなかそれだけでは・・・
なんというか・・・
その・・・

アレなのである。
※それだけではテーマがもたない

だから時に「エモい」なんて言っちゃって、 心の中でふつふつと沸き上がる「くだらねぇ想い」を吐露するだけの薄々なブログだが「オピニオンブログ」としてしまっている。

さて冒頭のライターの件だが、ライターとしての独自の意見を綴るのだろうからおおいに「オピニオン全開」のはず。
そして、その「オピニオン全開」が心身にとってどんな影響を及ぼすか。 私が考えるに、オピニオン全開・・・己の意見を発するということは、 向けた相手、または大勢の人に殴りかかる事と同じことではなかろうか。

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意見をぶつける 交換する

世の中には様々な意見があり、それをぶつけたり、交換したりする。 自分の意見を公にすることは幾多の目に晒され、批判であれ賞賛であれ、必ず自分に反動がある。

殴った相手は傷つくが、自分の拳も存分にダメージを喰らう。

実際に殴るわけではないが、ライターならば意見を考え、まとめあげ、 文章にするのだからそのダメージは特に「心」に喰らう。 言ったら終わり、投げかけたら終わり、書き綴ったら終わりではない。 特に「ライター」と名乗る以上、私の様に弱小辺境ブロガーとはくらべものにならないくらいの大勢に見られるのだから、 その反動は大きい。それも、自分に自覚がないままに。

ライターに限らず、ひとが「0から1」を生み出す作業においては、 模範解答では済まされない。

携わる人の独自性、センス、そして説得力が必要になる。 なぜなら、「0から1」を作る作業は、答えを自分で作るからだ。 そういった職業に就いて、心と頭が疲弊してしまっているひとは実に多い。

ミュージシャンを目指した

私が若い頃、ブラック企業に勤めるのが心底イヤになり、 趣味でやっていたバンドが「なんだかうまくいきそうな」 感じであった為、1年間バンドに賭けてみようと行動したことがある。

ミュージシャンも「0から1」を生み出す作業である。 独自性、センス、どのライバルバンドも持っており、 後は肝心な「説得力」だけなのだが、音楽でひとの心を動かすのは容易ではなかった。

自信満々で始めたくせに、最終的には何が良いやらわからなくなってしまったのだ。 結局私もあちこちで自作の音楽を投げかけ続け、 その反動のダメージと反響の「無さ」に疲弊し、 自信が粉々になってしまった。

プロのミュージシャンでも、突然声が出なくなる、 楽器が演奏できなくなるといった心の病を患うひとが多いことに気づくと、 やはりオピニオン全開とはリスキーなのだと思う。

冒頭の「ライター氏」もそんな感じではなかったか。

好きで自信もあって始めたのに、いつの間にかダメージを受けていた。 不特定多数の反響が多くあればあるほど、それ相応のダメージを喰らい、 なんだかわからなくなってしまったのではないか。

私のように反響が無くてもダメージを喰らうのだから、 オピニオンを公にすることは覚悟が必要だと思う。

自信があるうちはまだいい。
自信があれば勘違いできるからだ。

しかし人間というのは不安やプレッシャー、 不安定な生活、批判などのダメージにすこぶる弱い。
それを加味したうえでリスクを恐れず・・・
それでもライターになりたいのだろうか。 もし今を逃避するだけ、という理由でだったら他に道もあるのにと思うのだ。

おわりに

「0から1」の作業は、結構楽しい。
なんせ正解がないのだから、作ってしまえるから楽だし、 自由気ままにマイペースを貫けるからだ。

しかし、それを公にリリースするとなると、 「マイペース」が崩れてしまう。

自由がなくなり、楽でなくなり、正解がなんだかわからなくなって、 結局ふりだしだったりする。

みんなライターになってしまったら、つまらない文章だらけになるような気がする。 すでにはてなブログのトップペエジにもあるように、 今までに読んだような読んでないような、いつもの人がいつものテイストで記事を書いて、 安定感だの安心感だのみんなが評価してトップを飾ってしまうから自信を持って勘違いするのだ。

私はいつだか、怒りの投稿をしたことがあるが、 「ブログをやっている」ひとのイメージはすこぶる悪い。 「ブログやってます」とおおっぴらに言えないのだ。
ブロガーやライターに理解が無いひとから見れば、ただのおこづかい稼ぎ集団にすぎない。

ライターになって、「ブロガー」か「ライター」に理解の無いひとが寄ってくるか、 読んでくれるのか。

そこに真の値打ち、「真価」がある。

結果的に、今の音楽業界は冷ややかなものになってしまった。 私のバンド仲間は、それなりにテレビのエンディングテーマなんかやっちゃたりしたが、 その後はただの「フリーター」で東京にしがみついている。いまだに勘違いの途中で自信を持ってフリータージジイなのである、真価に気づくことなく。

私がそのライター氏に贈る言葉は「辞めて正解」。

真価というものは、辞めてから気づくものでもある。