ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

観光地のセールストーク 変わらなければ未来は無いだろう

私は面白いもの、くだらないものが大好きなのだが、 多くの近しい方々からも「君のツボがわからない」と言われてしまうほど、 非常に残念なツボの持ち主なんではある。

特に人間が醸すちょっぴり悲しい、ちょっぴり苦々しい空気は私の中で大好物とされ多くのひとに理解されず、 時々「不謹慎だ」と怒られてしまう私である。

不謹慎ですいません。
日照ノ秋人です。

観光地のセールストーク
私にとっては大好物。

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セールストークは進化していない

最近の若い奴らはぁ!なあんて思うのは、 私がおおいにおじさんになったからであるが、 人類の発想、思想は徐々に進化している。

私の「欲しいものリスト」の記事や、 polcaなどで物やお金を見ず知らずの他人からもらうことになんの抵抗もないのが現代人である。

hiderino-akihito.hatenablog.com

私の様な古い人間から見れば「タダ」で何かをもらってしまうと、 みっともないし、かっこわるいし、社会人として体裁悪いし、 なにより信用を失うことが怖かったはずだが、 現代人にはその考え方が無いように思う。

ひとでさえ、こんなに変わっているのに、 まーったく変わっていないものもある。

それが、観光地のセールストークである。

私は仕事柄、全国各地に飛び回ることが多いので、 観光地にぶらりするときもあるのだが、 そこで出会った残念で愉快なセールスを回顧してみようと思う。

某地獄の軟膏

その日はまさに前日の酒が残っており、 朝イチから「地獄めぐり」などという「生き地獄」を味わうことになった私。

せっかく美味と称される黒い卵も、二日酔いの体内から「断固拒否」 のシュプレヒコールが脳内に響き渡り食べられなかった。 そして、地獄という地獄を良い天気で眺めていたのだが、 そのとき突如、ひとりのおばさまが語り始めた。

血の池がどうとか、泥がどうとかっていう話だったと思うが、 古来よりうんぬんの話に観光客はとりあえず惹かれ、 「うんうん」なんて頷いてはとくになんの面白みのない 「地獄」なんかそっちのけで、 そのおばさまの話を観光客の皆で聞いていた。

それが突如、セールストークに変わった。 古来うんぬんなんかどうでもいい、とにかく売れ。 と言われているのかもしれないが、 いきなり温度が変わった冷たい「買え」といわんばかりのトークに、 さっきまで頷いていた人々が顔と体の向きを変え、 蜘蛛の子ちらし状態で離散し始めた。

その場に残された「カネ!カネ!」のおばさまと、 それを無視して逃げ回る人々のビミョーな空気に、 二日酔いの私は爆笑してしまった。

あれだけひとを惹きつけておいて、まさかの売り上げゼロなのである。 こんな手法で今まで売ってきたのかと思うと、 「買う方がバカ」というイメージがどうしてもついてしまう。 ひょっとしたら本当に良い商品なのかもしれないが、 売っている本人達が「買ったらバカ」な商品に格下げしているのだからいけない。

二日酔いの私でも、はっきりと思った。
この売り方では「売れない」と。

焼き物

また別の話だが、ろくろだかをくるくる回したりして、 器などの焼き物を作る工房へ行ったときのこと。

工房内を見学出来るという呼びかけにより集まった観光客に、 引率するオジイが熱弁をいきなり振るうのである。 私なんかはそのオジイに青年団の方」と変なあだ名をつけられ、 いつのまにか団員にされてしまったよ。

この食器は古来よりナントカだとかの能書きをずらりと並べ、 ろくろをまわすおばさまの技術をふ~んと眺め、 正直「はやく終わらないかなぁ」と思っていると、 むこうに「出口」とかかれた「のれん」(長いタイプ)がついに登場。

私と、その他大勢(面識の無いひとたち)がその「のれん」を パッサ~とすると、 そこには工房の雰囲気とは異次元の妙に後づけ感満載の売り場が登場し、 我々よりも遙かに多い人数のおばさま達が手ぐすね引いて待っていたのだ。

工房の見学できます→見学→解説→出口→売り場。

という流れに、「サランラップ」がもらえる!と老人をかき集め、 「ロバート・熊さん」あたりが詳しい、 催眠商法に導いていく手法に見えなくも無いセールスシステムに、 観光客は一瞬だけ「アッ・・・」と思った。

もちろん、凍り付いたその一瞬の気まずい「アッ・・・」に、 私は思わず吹き出してしまった。

そして真の出口へ一直線に最短距離を進んだ。 なぜならその焼き物は、予想していた額よりも ゼロがひとつ多かったからだ。

しかしその途中、4度おばさまに呼び止められた。 呼び止められたというより「立ちふさがれた」が正しい。

私の様におじさん諸君ならば一言
ジェットストリームアタック
という表現でおわかりいただけるとおもうが、 おばさまの後ろにまたおばさま、 ひとりはぐらかしても、セールストークは4度繰り返されたのである。
ジェットストリームアタックは3人だが。

こんなんじゃ売れない

地獄の軟膏も伝統的な焼き物も、 こんな売り方じゃこれからの時代、誰も買わないのではないか。

どちらも共通することは、買う側が皆「こんなはずじゃなかった」 と思っていること。 つまりは、「損した気持ち」からセールスがスタートしているのだ。

ではなぜ、今まで成り立ってきたのかを考えると 「価値観」と「情け」ではないかと私は考えた。

これは伝統の品で価値のあるものだ。
丁寧に説明してくれたし、観光地の収入源だから。
せっかくここまで来たのだから。

各々の物差しで要、不要が測られ、ほとんどの場合「思い出の品」 といった感覚で買われていったのだろう。

今は昔ほど「思い出」に価値が無いのではないか。 写真を軽々しく撮ってクラウドで管理できる時代である。 そしてインスタなどでは不思議なことに、 「伝統の品」に高い評価がくだされることはない。 こと「つまらない伝統」に関しては、現代人は冷たいのである。

伝統を残すということは崇高なことかもしれないが、 肝心なことが抜け落ちている。 残すべき伝統は「良き伝統」であり、「悪しき伝統」は残すべきではない。

光都市にお金を落としてあげよう
なあんて情けをかけるお金も、物価の上昇と手取りの減少という反比例社会によって、現代人には無いのである。

情けをかけなければ生き残れない伝統なんか淘汰されてしまえと、 みんなやさしいから口には出さないが心では思っているのだ。

先に言ってしまえ

SNSでは、「先に言ってしまうことの重要性」をつぶやいている方がいた。

コンビニのトイレには、

「いつも綺麗に使っていただきありがとうございます。」

などと書いてある。
私がココを使うのは初めてなのに。

先に言われると、なんだか不快な気はしない。 私はそのつぶやきになるほどなあと思ったのだが、 コレ、観光地のセールストークに使えないかとも思ったのだ。

いつも購入していただきありがとうございます。 つい先日、累計500万個を突破致しました!
なあんてね。

これからGWに突入していくが、 私におもしろさを提供してくれるのはおおいに結構。 しかし、売り方も現代人に合わせて進化させなければ、 時代にあわせて進化させなければ、今までの伝統は死んでしまう。

これは買う側の責任ではない。
売る側の、扱う側の責任、責務なのだ。
※某真珠産地のセールスも相当おもしろかったがまた今度。