田舎道を車で走っていたら「パパくさい」という我が子。
このにおいはブタくんやウシさんが、
ドナドナトラックに乗り込んで売られていくんだな。
申し訳ないな。
ありがとうな。
なあんて思っていたらバキュームカーだった。
工事現場、夏フェスなどでまだまだ現役の彼だが、
随分街で見かけることは減ったように思う。
あの頃は・・・。
思い返せば昭和。
平成より前の昭和。
一度だけ経験した、あの「ぼっとん」ってやつ。
さすがに水洗が普及した今。平成さえも乗り越えた今、
身近なところでそれらに出会うこともなくなってしまった。
私は平成を小学生で迎えた。
まだアソコに毛も生える前に昭和を生きてきた「昭和のひと」でもある。
「Hey!Say!」とカーくんがセンターでポージングしている絵面が浮かぶ人は、
みんな昭和の人ではなかろうかと思うほどに。
スナックのママの名前みたいな「令和」となり、 ふと思い出したのがバキュームカーなんだからいけない。
なぜだろうか。
小渕さんが「平成」を掲げたころを思い出すと、 ソレが出てくるのだからよほどのインパクトがあったのだろう。
幼馴染が家を建て替えるので一時的に避難したアパートがなんと、 「ぼっとん」こと「くみ取り式便所」であった。
いつもの家とは違うえらく古風な平屋のアパートの幼馴染の家でファミコンをやることが多かった。 それも「ゲゲゲの鬼太郎」とかいう妙に面白くないファミコンを、 つまらね~だなんて言いながらやっていたように思う。
ぼくはその幼馴染の家でトイレを借りたくはなかった。
なんせ、はじめて見た「ぼっとん」であったためだ。
毛も生えていない少年・日照ノは、それがとても恐ろしかった。
蓋があって、蓋を外せば奈落の底。
もちろん香りは冒頭の「パパくさい」である。
当時、昭和の街並みでも「くみ取り式便所」の家はほとんどなかった。 しかし町内でも幼馴染が一時避難したアパートだけにそれがあり、 そのアパートのためだけにバキュームカーが、 ぼくらが野球をやっている原っぱの横を走っていった。
昭和が終わりを告げたときも野球をし、バキュームカーが走り、 ぼくらは呼吸困難になった。
「平成」って変な響きだな。
大人の事情なんかしらないこどものぼくらは、 事情を知らないから文句ばかり言っていたし、 「新元号・平成」に浮かれるバブルバカの街には軽く軽蔑したりなんかした。
実はその幼馴染の家で、一回だけトイレを借りた。
それはそれは妙な気持になったのだが、 そのころは「昭和」が去る足音も、 「平成」がやってくる足音も聞こえていなかった。
バブルがはじけると、あのアパートは無くなった。
それに伴ってバキュームカーが街を走ることがなくなった。
あのトイレも昭和と平成を経て今は無い。
令和となった今。
インフラが整っていない街では、
いまだに残っているかもしれない「くみ取り式」のトイレだが、
人口の減少、過疎などで完全になくなるかもしれない。
そんなものに想いを巡らせてしまうのはなぜだろう。
それくらい「におい」というものは記憶に刻まれやすいのかもしれない。 「ゲゲゲの鬼太郎」のあいつも、野球しながら鼻をつまんでいたあいつも、 昭和から平成を経て、今は令和に足を踏み入れた。
さて、次は何になるのだろう。
少しばかり気が早い私一匹は、次の元号さえも楽しみにしている。
もちろん、ウォシュレットでおしりを洗いながら。
written by 日照ノ秋人 無邪気なときもありました。