ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

車の色

自動車事故がおこるのは、
人間に要因があるから。

という論調が多い。

もちろんアクセル、ブレーキの踏み間違えや、 見ていなかったという事故の理由は、 人間的なことが全てだとは思う。

痛ましい事故がおこるたびに
「事故を起こした奴が悪い、俺はそんな間違いをしない。」と心に思っているひとが多いのではなかろうか。

自動車事故は一瞬の出来事。

一瞬の判断を誤れば、
一瞬の操作を誤れば、
人ごとの大衆も「人ごと」ではなくなる。

だからこそ、事故の可能性を少しでも減らしたい。

その準備は怠らない。
怠らないのだけれど、どうしても自分だけではどうにもできないことがある。

それは、車の色だ。


最近の車の色、淡すぎないかと思う。
そしてものすごく、ナチュラルカラーなんである。

もちろん昔ながらの白や黒は健在だが、 昔ほど売れなくなった車というものが売れるように 「ほらほら、カラーバリエーション豊かだよ。」 と、少しでも「ソソる」用に仕立てたのが今現在の売り方なんだろう。

それにより、昔からあるメタリックカラーはあまり見られなくなり、 そのかわりに淡い色や、ツートンカラーといった 「より自然で抵抗のない色」になった。

逆にケバケバしい色はほとんど無くなり、 街の景観にそぐわない色は「美しくない」とまで言われるようになった。

シルバーメタリックの車は事故率が一番少ないというのに。

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私が言いたいことは、その「自然な色」が 「自然に溶け込む色」になっていないか、 ということである。

自然に溶け込む色というのは、 自然に溶け込んでいるからこそ見えにくい。

見えにくいのなら、より注意深く見ればいいだけじゃないか
なあんて言われそうだが、ただでさえ注意しながら運転しているのに、 よりいっそう注意深く見ようとすると我々人間というのは視野角がせまくなるものらしい。

常に一瞬の判断力が必要なのに視野角がせまくなった上、 「より注意深く」ではリスクが大きくなってしまっている。

車を運転するということは、周りの誰かを傷つけるリスクがある。
リスクがあるからこそ責任がある。
だから運転者とは運転するだけで既に「責任」を伴っている。

あたりまえのことだから、今更「自覚せよ」だなんて言いたくないが、 責任を伴う運転者だからこそ事故の可能性は少しでも減らしたい。

街の景観を損ねるから

というだけで、街に溶け込んでしまう色の車に乗るのは、 「見られにくい」というリスクを伴う。

そして運転者でもないひとが傷ついて、 終わりのない悲しみに暮れる。

だったらば。

街の景観にそぐわなくたって、目立つ色にしたっていいじゃないか。 視認されやすい色は「安全」が考えられているからこそ、視認されやすいのだ。

安全を考えると、色において今の自動車メーカー各社は安全意識が足りないと思う。

ドライバーを保護するのはいいことだが、 ぶつかってこられたらひとたまりもない。 緊急ブレーキ装置だって、子供達を守れなかったのは事実だ。

ひとに見られない色は、現代ではオシャレかもしれないが、 事故の可能性を少しでも減らせるのなら、 思い切った色をリリースする勇気も持って欲しい。

安全第一。

いつの時代だって、
一番は変わらないのだから。

written by 日照ノ秋人 
かわいい色だからという理由で事故の可能性を高めてしまうのは 罪ではなかろうか。