ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

ヘアードネーションで彼女は笑ってくれたのかな

いつか、派遣社員として一緒に働いた女性がいた。

若くて、地味で、そしていつもニットの帽子をかぶっていた。

なぜ帽子なのかは最初わからなかったけれど、 体のことで何かあるらしいという話を聞いて理解した。

他にも派遣で来ていた女性はいたが、 その彼女は学歴も、職歴もほとんどなかったにも関わらず仕事をすぐに覚え、 他の派遣社員よりも速く戦力になった。

いつも真面目で、地味で、滅多に笑わないけど、 仕事というのはつくづく「性格」だなぁと 教育役をやっていた私は痛感した。
 


 

ヘアードネーションとは

病気などで頭髪を失ったひとのために
寄付された髪の毛をつかって
ウィッグを作り無償で提供する活動

私は毛深い男である。
そして我が娘もまた、
こんな父親に似て毛深いのである。

幼稚園児(当時)なのにうっすらとヒゲのように生えている 鼻の下の無数の毛を見ては、「ごめんな」と言って、剃ってあげた。

剃れば剃るほど濃くなるのだが、素の状態で既に濃いのだから、 お友達にバカにされる前に剃ることを決断した。

なぜ私が「ごめんな」なあんて言うのか理解していなかったが、 じきに理解するだろう。

キョトンとする我が子に、
「毛深いひとだからこそ世の中の役に立てることもあるんだぞ」 と、私は言った。

テレビには芸能人ががんを患い、頭髪のない写真がうつされた。 先天性ではじめから無いひともいれば、 後天性であるものが無くなったひとだっている。

どちらにしてもショックに違いない。 我が子は無邪気に「なんで髪の毛無いの?」と聞いてきたが、 説明するとキチンと理解したようだ。

「髪の毛を寄付することもできるんだよ」と教えたことに、 我が子は強烈に反応した。
 


 

毛深いひとだからこそ世の中の役に立てること。

残念ながら学のない親が教えられたのは、 たったひとつ「寄付する」ということだけだった。

「寄付したい」
そう言う我が子に、我々親は驚いた。

誰かのために自分の何かを使う。
時間であれ、手間であれ、
それは凄く大変なことだ。

口にするのは簡単だけど、 幼児が「誰かひとのために」と自発的に一瞬でも考えたことは成長だと思ったし、 自分だけが儲かればいい、良ければいいと行動してしまう現代人には 無くなってしまった「志」でもある。

親が教えなくても、道や方角を決めてやれば子供は勝手に志を持って歩くんだな。

我が子の成長を噛みしめながら
苦悶の奥方。
アンタ、ソレどんだけ
大変なことかわかってるの?

と諭したって、崇高な「志」は揺らぐことはない。

こうして我が家のヘアードネーションプロジェクトは始まった。

寄付する為には
「31センチ以上」必要となる。

しかし、切ったときに丸坊主状態になってはいけないので、倍の「62センチ」。

さらに、不揃いではいけないのでもうちょっと伸ばして「70センチ」。

最低でも70センチ伸ばす。
それでようやく31センチギリギリ寄付出来るまでになる。

そして毛の質も良質に保たなければならない。 思ったより大変すぎて、奥方なんかは
「もう髪の毛洗いたくない」だの、
「もうやめよう」だの、
弱音の連続だったが約3年、
長さはギリギリ合格。

ヘアードネーションの活動をしている美容室を探し、※個人郵送も出来る様です。
すっきりしたボブに変わった我が子の横で、 疲れ果てた奥方が「ようやく終わった」と 燃え尽きた顔をしていた。

ただ、子供の髪の量では
ウィッグを作るには全然足らない。

「少しでも」と思う反面
「足らない」という現実は、
「良き行いをした」と思うだけの
自己満足かもしれない。

ひょっとしたら我が家のヘアードネーションプロジェクトは 「ただの自己満足」と見られるかもしれない。

中途半端な善意というものは、
人を傷つける場合もある。

そのあたりの感覚は身につけなければならないと思ったし、 我が子に身につけて欲しいとも思う。

が。

頑張ったんだから、
ひとまず良しとしようじゃないか。

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派遣の彼女は、ある日帽子をかぶらないで出社した。

頭には髪がある。

「おっ、その髪型似合うねぇ」

のんきに言う私に、

「ウフフ、母が持ってきてくれたんです。」

今までの地味で無表情なイメージには
なかった満面の笑顔で言った。

それから人が変わったように表情が豊かになり、活発になった。 自分に髪がある、というだけでこんなにひとって変わるだろうか。

普段、自分がフツーでいられることは、とんでもなく幸せなことなんだと こういうときに気づかされる。

戦力になっていたので正社員登用を私は持ちかけたのだが、 もうすぐ長い期間入院生活を送らなければならないとのことで、 正社員登用は見送った。

私は送別会をしなかった。
「別れ」を使いたくなかったし、
彼女もきっとそう思うだろうから。

また働きたくなったら直接連絡ちょうだい。 という私の言葉に、彼女は少しだけ笑った。

おそらく「母からのウィッグ」の時点で、 彼女は悟っていたのではないかと思う。

彼女はがんを患っていたし、
「娘に一度でも社会経験を・・・。」
という家族からの事情はどこかのタイミングで聞いていたから、 それなりの重さだったのだろう。

数年前に「少しだけ笑った」彼女からの
連絡は、まだない。
 


 

31センチ。

その長さで作ったウィッグは、思ったよりも短い。 ひとつのウィッグを作るのに、何人もの寄付が必要となる。

派遣の彼女のウィッグはとても短いものだったが、 それでも幾人かの髪を使って作られる。

彼女たちは「いつかはロングに」と
思っている。

50センチ級の髪が最も不足し、
最も需要があるらしい。

「いつかはロング」の夢くらい叶えさせてやりたいけれど、 我が奥方は複雑な顔で「もうやめて」と言っている。

そのむこうの我が子の目には
「はい、やめます。」
とは思っていないように見えた。

written by 日照ノ秋人 
あの満面の笑顔は本当にうれしそうだった。