福山雅治がデビュー以来好きで、 追憶の雨の中で君にアクセスしていたあの頃。
ギターを覚え「弾き語り集」みたいなものも買っちゃって、 アルバム「Calling」では、ああ、右目を負傷したんだなぁと思うほど 私がピュアマイルドだったあの頃。
歌手なのか俳優なのかわからない元魚探売りの「あんちゃん」を、 いつの間にか受け入れなくなってしまったことに気づいた今、 知人と話をしていたときに出てきた「福山チャラい」というワードに、 軽く自爆してしまったという私のなんだかわからない話だ。
イナカモン、バイ。
彼が与えられたキャッチフレーズは「イナカモン、バイ。」。
私はソレを聞いて「このひとはバイなんだ」と、ほんの5グラム程思ってしまったが、 長崎からSIONを聴いて上京した青年は当時、 フォークギターとハーモニカ、ジーンズとブーツという、 「フォークシンガーかぶれ」の状態ではあった。
私はそんなフォークかぶれのあんちゃんが東京で勝負するという胸アツ感で、 彼を応援したわけだが、「伝言」というアルバムジャケットがあまりにもダサすぎて、 当時ウブだった私は欲しくても買えなかったことを今でも覚えている。
深夜「俺、頭が痛くならない」と言いながらかき氷にオレンジジュースをかけて早食いしたり、 「みの・モータウン」とか言ったり、私はそれなりに彼を楽しんでいたが、 ある日ある楽曲がどうしても受け入れられず、 以来、全く彼の音楽を聴くことが出来なくなってしまった。
いつからチャラくなったのか。
私が知人と話していたのは、その「受け入れられなくなった」 楽曲の話が不意に会話に登場したからなのだが、 軽く「昔好きだったんだけど、今チャラいよね」と私が放った言葉に対し、 「昔の方がチャラいじゃん」と返されたのがこの話の発端である。
なぜ私は、今の彼がチャラいと思ったのか。
それは私の中での彼は「長崎から上京したフォークかぶれの青年」 だったはずのなのに、今ではエレキギターをかき鳴らしデジタルな音も駆使して、 すっかり「東京かぶれ」とか「ロックかぶれ」になってしまったから「チャラい」と思ったのだ。
知人には「歌手もやって俳優もやって2の線のカワイイ青年で売っていた昔」のほうが、 売り方としてチャラい印象があったようなのだ。 私はボーゼンと「ああ確かに昔の方がチャラいかも」と納得し、 軽く自爆してしまったところでもある。
しかし私は「歌手・福山雅治」が好きだったわけで、 チャラいから好きだったわけでは無い。 ただ「チャラいから嫌いになった」とは思う。
私が彼の事を受け付けなくなった楽曲は「桜坂」。
今となっては彼の「代名詞」といえる楽曲ではないかと思うが、 ソレを聴いたときに熱を感じなかった私は彼がデビュー当時からの殻を脱皮し、ついに飛び立ったと思ったのだ。
私は音楽が好きだ。
ただし、嫌いな音楽もある。
それは「大衆に媚びた音楽」である。
彼の桜坂には「次への新しいステージ」を感じたが、 おおいに「媚びた感」も感じてしまった。
顔色をうかがっている音楽に熱はない。 そして大衆に媚びているのは歌手として「チャラい」。
つまり、夢を追いかける姿はチャラくなかった。
大衆に媚びた姿はチャラい。
私の中では、こう線引きされた。
もちろん彼が「大衆に媚びた」音楽を自発的に作っているかは定かではない。 ただ、私と同じように「桜坂」に失望したファンもいたのではないか。
それも昔から、あの「フォークかぶれ」の頃からのファンは、 特にそうではないかと思う。
「あの頃」という存分にノスタルジーを含んだ思い出補正的な愛情は、 永遠に「あの頃」でいてほしい願望みたいなものだ。
それがくやしくて「あいつチャラくなった」と私は思ったのだろう。
何かにかぶれていたものから、自分が光を発する側になった自覚。
巣立ちというか独り立ちというか、そういった寂しさはファンとして
喜ぶべきかは複雑なところ。
きっと我が子が巣立つときも、こんな感じなのだろうと思う。
それでもやっぱり「桜坂」は受け入れられない。 そういうときばっかりは、「音楽が好き」という意識が邪魔をする。 ファンというのは勝手だが、勝手で良いのだろう。 受け入れるのも、受け入れられなくなったのも、同じ大衆だからだ。
彼は結婚して、ソレキッカケでファンも辞めたひとが多いと聞く。
私が「ソレキッカケ」でなかったことにはなぜか胸をなでおろしたところだが、 私のモヤモヤは晴れなかった。
それは「彼はバイなのか」が、
わからないままなのである。
願わくば、「バイ」であってほしい。
昔ファンで今は外野の勝手な大衆のここにひとりは、
これからも身勝手なことを考えていくのだ。
written by 日照ノ秋人 私はバイでは無くただの女好きです。
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元ネタは米米CLUB。