ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

正論を吐く奴にろくな奴はいない

今年の少ない夏季休暇も終わってしまった。

お客様は休みなので仕事中も 「ドラマ」なんかをBGMにして作業していたのだが、 今年BGMにしたドラマは知る人ぞ知る、 知らない人は全然知らない「竜馬におまかせ!」であった。

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竜馬におまかせ!」は幕末の話。
無職でふらふらしている坂本龍馬がいきなり出会うのが 「自己啓発セミナー」であり、 そんなことでなびいてしまう周りの人間に対して坂本龍馬が放つひとことが、 「正論吐く奴にろくな奴はおらん!」
というところで私は仕事の手を止めピーン!としてしまった。

自己啓発セミナーを主催して、若者をたぶらかしていたのは清川八郎という男だったが、 倒幕の為のマインドコントロールに「未来を変えるには過去を否定するところから始まる」 という言葉を吐き、たぶらかされた若者は倒幕の準備を進めてしまう。

自己啓発というものは時にマインドコントロールの手段として使われるケースが多い。 私も若かりし頃、そんなセミナーという謎の集会があちこちで催され、 見事に感化された同世代の若者から謎の品物を売りさばくために 「話だけでも」という連絡をもらったことがある。

まぁ大体、友人知人達のあいだで 「アイツはあの商材に手を付けている」という噂が広まるので、 「話だけでも」の話を聞いたことはないのだが、 自己啓発セミナーで「正論を吐く奴」になびいてしまう若者はとんでもなく多かった。

そしていま、消費者センターに寄せられている相談には、 私が知っている「あの頃」の儲け話にそっくりな手法に感化され、 財産を散らかしている若者がとても多いとのことだ。

人はなぜ「正論」になびいてしまうのか。 なびかないひとだっているのに、なぜだろうか。 そんなこと「なびかない側」の人にはわかる事だから、 このエントリーでは言及しない。

私が思ったのは「正論をなぜ吐くのか」ということだ。


信念とは

自分が堅く信じる心
金田一京助編 新選国語辞典より

私が思う信念とは、「信じ続けること」だと思う。 未来を作るために自分が経てきた過去を否定し続けては、 その節々で信念がコロコロと変わってしまっている。

移り気は「信じ続けていない」のと一緒だ。 だから信念が無い。

信念が無いから流されやすい。
誰かから「正論」を語られれば簡単に感化されてしまう。

つまり「正論をなぜ吐くのか」の答えは、 誰かをマインドコントロールしたいからだと、 ちょっと極端だが私は思う。

ドラマの清川八郎は正論で流されてしまう若者に対し、 「あいつらはダメだ、自分というもの(信念)が無い。」と裏で吐き捨てるのだが、 言葉によって流されてしまうことを利用して、倒幕グループを簡単に作り出している。 ※ドラマの中では勝海舟を暗殺するグループを結成する。

「正論を吐く奴にろくな奴はおらん!」というのは、 人を言葉だけで操ろうと目論む奴のことを言っている。

最近のSNS上での「謎の正論語り」を「ビジネス」と言っている奴らの被害者数は、 消費者センターの相談件数を見ても右肩上がり。

やはり正論を吐く奴には「ろくな奴」がいないのである。


私はどうか。

ブログを通じて読む人が反応しにくいエントリーを書いたりしている。 心の中に鬱積したくだらぬ想いを吐き出してしまい、 読んでいる方々には申し訳ないと思っているのだが、 そんな記事にでも数百PVとかついてしまったら、 たぶん私は「正論を吐くイヤな奴」になってしまうのだろう。

まぁ正論かどうかは別にして、
言葉だけでひとを操りたくなるのではないか。
言葉だけで人の反応を見たくなるのではないか。

幸い数百PVついたことは無いのだが、SNS上でも正論を吐くひとはそんなことを体験し、 ひとに認められたいだけで今日も正論を吐いている。

正論になびかない人たちには「今日も何か言ってる」程度のことなのだが、 大いに頷き、感服し、応援し続けることが「自分の信念」と思っている人達に、 本当の信念は在るか。生活費が底をついてから消費者センターにお世話にならない自信はあるのか。

「あたりまえのことだからわかっていると思っている人ほど、あたりまえのことが出来ない」
というSNS上の「正論」があるが、 人に対する挨拶や感謝などあたりまえにやれているひとはあたりまえにいるのだ。

「あたりまえにやれていない」人たちと群れすぎているから、 人に対して決めつけてしまっているのだろう。 そしてそれを「正論」としてSNSに発信してしまっている。

きっとイエスマンとしか付き合ってきていないのだろうな、そのひとは。

気づかされなきゃ気づかない程度の「正論」は、 そもそも「正論」ではない。

正論とは

正しいこと。正しい議論や意見。
金田一京助編 新選国語辞典より

どこぞの顔も素性も知らないひとから教えてもらう事ではない。 自分で学び、ソシャクし、時々自問しながら自分の心の中だけで育むものではないか。 それが磨かれ想い続けてこそ「信念」になるのではないか。

その「信念」には「誰かに正論を吐く」という発想はきっと生まれない。 あたりまえのことだから、人に説く必要がないからだ。

あたりまえのことを言われて「感服」してしまう人は多い。 それを逆手にとって「正論を吐く」奴も多い。 それがドラマで坂本龍馬が言う「ろくな奴はおらん!」となるのだろう。


夏休み期間中も、どーせ客先がいないのだから、 わざわざ職場でやる必要もないだろうと考えた「ろくでなしのワタシ」は、 コワーキングスペースとやらの話を聞いて利用しようと企んだ。

名古屋周辺にはそういうものが多いので、 「ヒトデ」とかいうひとの作ったものも含めて数か所をネット検索してみたら、 クチコミの星の数が少ないことに気づいた。

そのクチコミを見てみると、
「アフィカスの巣窟」とか、
「ブログマルチの連中がうるさい」とか、
「キモチワルイことばかり話してる」とか、
散々なことが書かれていた。

特に「オシャレな空間」とか「セミナー」とか、 ソレっぽい人がワンサカいそうなイメージが私の頭の中に広がった。

どうやら「コワーキング」の定義とは、 「信念の無い奴ら」を指すような気がして利用をあきらめた。

私が「信念の無い奴ら」と瞬間的に思ってしまったのだから、 アフィカスもブログマルチも「だれかの正論」で動いてしまう種族だと、 私の中で認定したのだろう。

SNSでのマインドコントロールは実績がある。あってしまう。

我が子がそんなものに染まらないだろうか。 我が子が信念の無い男を連れてこないだろうか。

それを見極めるためにまず、奥方にその「目」を鍛えさせるところから始めたい。

奥方に話をすると、
「正論?アタシの言う事はすべて正しい。」

それはそれで、問題があるのだが。

written by 日照ノ秋人 邪論ですいません。