ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

夏の終わり、風見鶏のきみへ

風向きが変わる。

夕映えの窓を開けると、プランターのバジルがしおれていた。
薄紫の街路樹が生ぬるい風に揺られて騒がしい。

風向きが変わる。

夏が終わるのか。
気温はさほど変わらないが、
まぁそんな感じ。

f:id:hiderino-akihito:20190905225341j:plain

塩バニラホイップの白パンを食べながら、遠くの青空を見る。
白パンとホイップに似たような、本当に似たような白い雲が浮かぶ。

太陽は高い位置にあって暑い。
昨夕刻に吹いていた強めの風が、翌日にはなかった。

薄紫に染まっていく街。
駅を出ると焼き鳥のにおいがした。
自分には丁度、向かい風が吹いていた。

病むほどの毎日は、きっと人生を彩らないと思った。
自分には向かい風が似合うとも、その時は思った。

風向きは変わる。

夏の終わり。

自分の影の長さが伸びた。
秋が近づいてきている。

いつの間にかほら、追い風。


時間の経過、四季のうつろい、
そんなものがだんだん風向きを変える。

いつまでも向かい風ではたまらない。
いくら似合っていても、ずっとはごめんだ。

この背中を押す風も、いつかは変わる。
前に進み続ければ、こんなふうに向かい風も追い風も、 こちらの都合に関係なく吹いてくる。

進み方を変えたなら、向かい風からは逃れられるのではないか。

愚直に前に進むのか、時に進み方を変えるのか。
考えて悩み、悩み考えて進みたい。

生きるということは、
きっと悩むことと考えることからは逃れられない。

でも深く考える必要はないんだ。
風を感じ、時々方向を調整しながら揺れる風見鶏でいい。

フラフラしたって、少しずつだって、
進む足はその人だけの道の上に違いない。

風向きは変わる。

だから、秋が待ちどおしい。

written by 日照ノ秋人 


hiderino-akihito.hatenablog.com

hiderino-akihito.hatenablog.com