ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

自然災害における最良の支援とはなんだろうか

関東の方々。
特に停電と猛暑で相当消耗している千葉の方。

夜は暗くて、寝苦しいでしょう。

食料も水も不足し、お年寄りや子供、特に幼児には過酷極まりない状態が続いています。

本当は支援のために食料や水や燃料を積んで現地に赴きたいと思っている猛者もいると思うのですが、 少量の支援が大量の支援を邪魔してしまう可能性もあるので手が出せない状況。

ヘリコプターで上空からボトッと落とすこともできず、 人間として歯がゆいですね。

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私みたいななんの影響力もない者が支援を呼びかけたって何にもならないんですよ。

本当に影響力のある人が「綺麗ごとだ」と罵倒されながらでも支援を呼び掛けて大勢を動かしていかなきゃいけないのに、 いつだってボランティアは少数の孤独な戦隊なのである。

さて今日も大勢にヨイショされているひとは、 この状況をニュースなどで見て支援を呼び掛けているのだろうか。 そんなことを考えてSNSをのぞいてみると、 こんな状況でもおかまいなしに、自分の価値観やら意気込みなどをひけらかしていた。

その誇らしげなフォロワーの数は何だ。
その大数は君の呼びかけで少しの支援もできない烏合の衆なのか。

そんな目で見てみると、SNS上の人気者は誰かが苦しんでいる困り果てた状況に対して、 己の無力さを噛みしめていない勘違いさんに見えてしまうのである。


私はチーバ君の体の真ん中くらいの場所に、単身赴任で1年ほど暮らしていたことがある。

山と谷と川と時々民家しかない集落でもコンビニくらいはあったが、 やはりチーバ君のなかでは大勢が行き交わない閑散としている街であったので、 商品補充が迅速に行われているとは思えなかった。

道もそんなに無いし、日ごろから物流の悪さを目の当たりにしていたので、 今回の災害、停電、物資不足では相当割を食っているのではないかと思っている。 しかしそこでも生きている人たちはいるし、子供たちだって大勢いた。

チーバ君は首から上の辺りに人口が多そうだが、 物資がそこですべて消費されていないか心配である。

横浜から木更津へ、アクアラインは強風が吹けば通行止めである。 ピストン輸送も、チーバ君の足元まで行くには相当な時間がかかるのだ。

しかし、今から物資を送ったのでは遅い。 彼らが必要としているのは「今」なのだから、どこでもドアみたいなものがなければ、 遠方に住むひとに届けるタイムラグは相当なものになってしまう。

だから支援したいのに出来ない現状は苦しい。

それゆえ、のほほんと己の活動やら収益やらをひけらかすとっても影響力のあるひとや、 そんなひとを評価してしまう大衆の気持ちはよくわからない。

10トントラックに物資を詰め込んでチーバ君の首から下へ、 資金はクラファンすればいいじゃん、やってるでしょ?いつもの支援。

今が本当に支援すべき時なのになぁ。


とはいえ、私が出来る支援は募金とかそんなことでしかない。

社会全体が「復興、復旧」にむけて会社なんか休みにして、 全人類を投入してはどうかと思うのだが、 物資を送ればごみの問題が発生し、 ヒトを派遣すれば衛生的な問題も発生する。

昔は毛布なんかをこれ見よがしに送りつけて「支援」ぶっていたが、 現場では置き場に困るし、たくさんいらないし、 逆に衛生面で問題が発生したりと結局は支援になっていなかった。

その教訓から私の様な遠方からの支援は、 現地に赴いてゴミや糞尿をまき散らして帰るのでは無く、 そっと資金援助をすることが「最良」なのではないかと思う。

助けてあげたいのはやまやまだ。
当事者ではないこちらの水は蛇口をヒネれば出てくる状態だし、 物資だって困らない程あるから分けてあげたいと思う。 きっと多くの人はそう思っていると信じたい。

支援するひとたちを支援する。
これも立派な支援の形だと思う。

そして支援は単発ではいけない。
継続してこそだとも思う。
だから今回の台風被害に限らず、 復興を目指す各地方にも支援を継続しなければならない。

我々は生きているだけで「復興税」 という税金を上乗せして取られているが、 そこにヒトの「想い」や「意思」は無いのだから、 ありったけの想いを乗せて、 財布に手をつっこんで、 子供達の見ている前でバーン! っと出来うる限りのものを投入してやったら、 イチ大人として少しはまともに見えるのではなかろうか。

written by 日照ノ秋人
 自分が損するから行動しないだなんて思いたくない