将来の夢。
そう書かれた大きな紙に、小学生が各々夢を描いた。
私はそれをふんふんと眺め、私が子供だったあの頃と違うと痛烈に感じてしまった。
ケーキを毎日食べたいからケーキ屋がいい。
そんなことを小学生のころに言っていた友人がケーキ屋を始めたときには既に 「ケーキ食べたくない」に変わっていたのを確認したときには、 夢というものがどんなものなのかわからなくなってしまったよ。
今ではそんなこども、いやしない。
むかしから「ある一定数」の夢追い人はいる。 プロ野球選手、パティシエ、パン屋、花屋、今だったらYouTuber・・・。
純粋に好きだから好きなものを職業にする、それが夢だ。
という発想だ。
私が今、目にした大きな紙に「パン屋」と書いたこどもは 「自分のつくったパンを世界に広めたい」とも書いてあった。
すばらしいと私は思った。
すでに広める事が使命と考えている点で「ケーキ毎日食べたい」 という個人的な野望とは温度が違いすぎるからだ。
今のこどもは、僕らがこどもだったころよりはるかにおとなみたいだ。 しかし、果たして「夢の職業」に就くことが夢なのだろうかと思えてきた。
将来の夢=夢の職業
という枠組みで考えている点では、昔も今も変わらない。
私が驚いたのは、将来の夢=職業 としていないこどもが割と多くいたところだ。
「世の中の役に立ちたい」
「病気のひとをたすけてあげたい」
「大金持ちになりたい」
目標が「職業」でない夢追い人は、使命感があってなんだかほっこりしませんか?
どうやって、どのように。
そんなことどうだっていい。
夢とは「夢」なんだから職業じゃなくたっていい。
そんな発想のこどもたちが意外と多くいたことは、
ここのおじさんは驚いてしまったよ。
と同時に「親の指図」のようなものも感じてしまった。
こどもが「世の中」って考えるかね。
夢くらい、もっと無邪気でいいような気がするが、 ほっこりする使命感も無邪気も、 世の中の流行にはどうも逆らえないらしい。
いまだったら「ユーチューバー」はとんでもなく多い。 そして、ダチョウ倶楽部が流行ったころは「ダチョウ倶楽部にはいりたい」とか、 ワンピースが流行ったころは「海賊」なんて書いてあった。 無邪気はおおいに結構だが、あまりにも現実離れすぎの夢もある。
今のダチョウ倶楽部はあいかわらず3人だし、 国産の海賊が出たというニュースも無いし、親がちゃんと軌道修正したんだろうな、 軌道を変えるように仕向けたんだろうなと思うと、 こどもが描く夢を知るのも親としては大事なことかもしれない。
我が子に問う。
きみの夢とは。
「えー。」
まだ、無いらしい。
written by 日照ノ秋人 無いなら無いのもいいと思う。
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