ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

子供の嘘とオバケ

ミエミエなんだよなぁ・・・。

なんで子供はミエミエの嘘つくんだろう。

そんなことでいっぱい怒ったような気がするな。 嘘つくな!って。

でも、これは私のモノサシであって、 ひょっとしたら嘘じゃないのではないか。

なあんて思ってしまったワケですよ。

大人のモノサシ、ポイッ。

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子供に嘘をついてもついてる自覚はない。

そんな本を読んだ覚えがあるのだが、 大人のモノサシをポイ捨てした私は、 それも違うんじゃないかと思ったのだ。

実は本当のことなのでは無いか、と。

子供にはオバケが見える時がある。
大人になると見えなくなる、なあんて話もあるが、 私は一度だって見たことは無い。

奥方は子供の頃、スキンヘッドで長身の外国人が家の廊下に立ってるのを見たらしいが、 見える人には見えるらしい。

まわりからはウソだと言われ、 そんなものはいないだの、見まちがいだろうと散々言われ続け、 見えるけれども「見えないものと」と自分で決めたから、 大人になって見えなくなる。

それが「見えなくなる」メカニズムではないか。

本当は見えているし、存在するのだろうが意識的に消し、 大人になってから無意識のうちに消してしまっているということだ。

子供は見えているけれども、親や他の人が見えていないと自信がなくなってしまう。 子供の脳が未発達だからなのだろうか。 それにしても知識が無い分、見まちがいをするとは思えないし、 やっぱり見えているんだろう。

ウソと決めつけているのは、
大人の方かもしれない。


 
子供に見えて、大人には見えないもの。

人間だって野性というものがあるんだから、 それを駆使したって良いんだろうけど、 理性で抑えてしまっているから己の知識とカンでなんとなくわかったフリして 正解と不正解に振り分けてしまう。

子供にそれはできないから、見えたものを、 感じたものを全て正解にしてしまう。 子供の方が、野性にあふれている。 それを「ウソだ」と言ってしまうのも、 なんだか違うような気がしてきた。

津波が怖かったから逃げた。
津波は怖かったけど、取りに行きたいものがあったから一旦家に戻った。

子供と大人のモノサシの差。
それで生死をわけるのだから、 大人が全て正しいワケじゃ無い。

子供に見えて、大人には見えないもの。

ではなく、

大人になったから見えなくなったもの。
だろうか。


 
ウソをつかれると、悲しい。
だから子供がつくウソに対して叱ってしまう。

だってやっぱり悲しいから。

でも、ウソをついていないのに叱られたと思っていたら、 その子供は不憫かもしれない。

「ウソ」に関しては、親としては慎重にならなければいけないと思う。

大人にあって、子供に無いもの。

意見を聞き、状況を判断するチカラ。
点と点をつなぐ技術。
結果「ウソ」であっても、マイルドにする配慮。

これくらい懐の深さは「大人だからある」と 子供には言いたいじゃないですかね。

これぞ大人の余裕。

不意にオバケが現れたら、そんな余裕は「ポイッ」なのだが。

written by 日照ノ秋人 オバケより人間の方が怖いわ!


 
大人が子供にしてあげられることはいっぱいありますよね。

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