ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

高級食パンに見る人間の価値観

ナチュラルカラーの店内。

壁にはブラウンの棚。

その中に、骨董品の様に置かれた食パン。

値段を見た私は、
とりあえず驚いた。
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高級食パン

高級高級って聞いてはいたものの、
思ったより値が張ったソレは、
大人気なのだそう。

エラソーな紙袋に入れられて大量に買っていくひとなんか見ると、 日本にやってきてドカ買いしていく中国人の品の無さと 大差は無いなぁって思うのだ。

おいしいから買っていくのか、
高級だから買っていくのか。
好みなのか見栄なのか。
それとも、それら全部なのか。

実際に見た商品とプライスとが、 なんとなくマッチしなかった物に遭遇すると、 ビンボーな私なんかはそんなオトナの汚い部分をどうしても感じてしまって苦々しい顔になってしまう。

食パンが、そんなにするわけないじゃないか。

自分の中でそんなふうに引かれた線は正しいのか。 お金を使う物だから、そんな葛藤はあるよね?

コントにて

NHKの特番かなんかで、コントばかりやっている番組があった。

高級食パンを売る店のコントもあったのだが、 そのコントのセットがまさしく冒頭のパン屋のイメージそっくりで思わず笑ってしまった。

ひとつ6000円の食パンを売り、
ほがらかな店主は「普通のパンです」と穏やかな表情で謙遜する。

材料にこだわり、
水にこだわり、
製法にこだわる。

なんだか暖かい店内と、
おだやかな店主の人柄が調和した空間は、
「ひとつ6000円」
「ひとりふたつまで」
という世知辛い決めごとまでも、
やんわりとさせてくれる。

そんな店主の誇り高き店に、
客が集まる。

ただ、食パンを買うのではない。
調和した、全てを買うのだ。

しかし、腰の低い店主は謙遜ついでに言ってしまう。

「本当に普通のパンです。」

いえいえ。

「6000円という値段でも、なぜか売れるのです。」

それはパンが素晴らしいからですよ。

「いえ、本当に普通です。普通の材料、普通の水、普通の製法の普通のパンです。」

え。

「ひとりふたつまででなくても良いのです。みっつでも、よっつでも良いのです。 でも、ふたつまでとした方がなぜか売れるのです。」

・・・。

「本当に普通の、パンです。」

人間は時々おかしくなる

我々人間は、価値観という物が時々おかしくなるような気がします。

妙な物が変に価格をつり上げる「ムーブメント」という物には、 多くの人々の価値観を狂わせてしまう怖さがありますね。

乗るも乗らないのも自由ですが、 人間が「本質」を見誤ってしまうことを利用して暗躍する詐欺師もいるわけです。

ま、ムーブメントとは皆が「騙された」とか思わないからムーブメントなのでしょうが。

うたい文句はだいたい同じ

今、巷で注目を集める高級食パンですが、
うたい文句がだいたい同じである事に気づいたのです。

「ふんわり」
「しっとり」
「もっちり」
「シンプル」

みんな同じように同じ事を言って、 まるで談合でもしているかのよう。 「どんぐりのせいくらべ」感はどうしても否めません。

食パンのようにシンプルな物だからあまりに脚色したことは言えないのでしょうが、 皆同じようならコントの様に「普通のパン」をさもたいそうなものに見せられるのも可能ですね。

品質と本質を見極められるひとになりたい

「そのまま食べてもおいしい!」という高級食パンを、 じゃあ毎日「そのまま食べるのか」と考えたら、 きっとそうはしないと思うのです。

何をするかは人それぞれ。
生活を彩るものならば、なおさら色々やりたいでしょう。

じゃあ、「高級食パン」じゃなきゃだめなのでしょうか。

見渡せば、セブンイレブンの「金の食パン」や、街のパン屋が作る「ホテル食パン」など、 2~300円で手に入る食パンでも、なかなかやるぜ?
※やるぜ?なんて言っちゃうぜ

妙に高いだけでありがたがっていないか。

価値観はひとそれぞれだし、
好みもそれぞれなんだけど、
単にお金をかけたら良いものなのかどうか、 クールに見極められるひとになりたいっすねぇ。

written by 日照ノ秋人
お金が無いからこんなこと語る


 

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