ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

ブロガー、カフェ経営、キラキラさんはおおいに呑むべきだ

なんの約束もなく、ただ帰りのエレベーターが一緒だっただけで、
「久しぶりに呑みにいくか?」という話になり、 特にノリノリでもなく、でも別に嫌でもなく、 「行きましょう」と汚い古居酒屋で、 店主の不景気愚痴を聴かされてこちらも存分に愚痴って なんだかわからないけれども、ちょっとだけ楽しかった月曜日。

「こんな風に思いつきで月曜から呑みに誘って乗る奴、 最近はいないんだろうなぁ」というパートナーの話を聞いて大きく頷いてしまった。

みなさん、愚痴ってますか?
日照ノ秋人です。

呑みになんかいかないで、ゲームしたい、ブログしたい、かまってほしい、 というのが最近のひとの傾向。 別にわからんでもないが、社会を観察する機会を無くしてるな、 惜しいなと思ってしまうのは私がジジイになったからだろうか。

汚い居酒屋

そのパートナーとは、いつも行く店が決まっているのだが、 今回は絶対に行かないだろうという入りづらい店に入った。
仕事のパートナーなので100%仕事の話なのだが、客は我々男2匹だけ。 暇そうな高齢のおばさまが、半ば強引に話に割って入ってきた。

「見て、この閑古(鳥)」
吉田類が片隅に居そうな古汚い居酒屋に、ずっと我々2匹だけがいた。 店主のぼやきは続く。
「最近はねぇ、呑みに行く子もいないでしょう?お兄さん達の会社にも」

確かに。

月曜から呑む奴もそんなにいないと思うが、週末や休前日にも 「呑みにいく」労働者は少なくなったような気がする。 ブログをやっていると「呑みにいくくらいならブログ書く」というブロガーもいるが、 代わりに何かをしたいから呑みにはいかない、という人がやはり多いように思う。

それはそれで個人の自由だと思うが、店主や我々が痛烈に思うのは「世界観が狭く凝り固まったひとが多い」ということだ。 その世界観を大切にするあまり、「呑む」ことが「無駄」に思えるのだろう。

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自分に無い世界を知る

その閑古(鳥)の店は汚な古く、おまけに隙間風があるという、 「The赤ちょうちん」といえる居酒屋だった。

私が趣味で行くような
「スタイリッシュゥゥー」で、
「コケティッシュゥゥー」で、
「情けないよう」で「たくましくもある」
店とは対極の店である。

普段の私ならば絶対に入らない店。
しかし今回はパートナーと「えいっ」と入ったわけで、 完全に店主の言い値のようなシステムのどうしたら正解かわからない空間を 「ついうっかり」体験できたことは、とても大きい。

こういった類の店は他にも体験済みだが、値段の無い食べ物などが果たしていくらなのか。 それを店主に聞くのは野暮なのか。 経験が無いと、そんなことにウキウキソワソワしてしまうのだが、 不思議なことにどの店だって大体同じような値段で最終的に終わっている。 それも、「今日は○○円でいいよ」と、何基準かわからないが ピッタリ額でのお会計になる。

内訳を知りたいと言うのは野暮で、スマートじゃない。

でもこの類の店では、いくらあれば「一杯ひっかけられるか」がわかる。 これは、経験しないとわからないことだ。

その気があれば、うら若きオネーサマがたくさんいる店にもご紹介いただける。 まさか、こんな高齢のおばさまからそんな言葉が出るとは思わなかったが、 この居酒屋からはこのキャバクラ、といった風な裏のつながりなど 地域の特色のようなものがわかってくる。

居酒屋、カフェ、キャバクラ、単独で経営しているように見えて、 実はとても多くの人が裏でつながりコミュニケーションをとっている。 きっと裏側の人間関係も、ふんだんに面倒くさいんだろうな。

呑み会にいかないメリットを読んで

巷にはこういったブログもあったので読んでみた。

そのメリットは、すべて「自分」の事であった。 そりゃあ自分だけを考えればそうなるだろう。 自分だけよければいいなら、呑み会にメリットは無い。

今回、私は汚な古い赤ちょうちんの居酒屋から、 あそことあそことあそこの店が裏で共闘していることがわかったし、 他にもサラリーマンのおこづかい事情、会社の上役が給料多くて、 若者は給料が少ないという格差があの会社にも、あの有名な大企業にも、 もの凄くあること。 店の客単価と価格のおおまかな平均値と楽しみ方。 付近の居酒屋事情など、多くの役に立つか立たないかわからない情報を得た。

まぁ、いくつかは使えない情報かもしれないが、 「経験すること」に意味があった。
料理がうまいか酒がうまいかは、全然関係ない。 そのことに「面白味」を感じなくなってるのだろうな、現代人は。

失敗と裏話を聞く

会社の呑み会にメリットは無いのだろうかと私も考えてみた。

人はお酒が入った状態じゃないと出てこない言葉がある。 呑む場というのはそういう言葉が聞ける場でもある。 もちろん、思い出したくない失敗の話、ダメ出しなどがそれに含まれるが、 それにプラスして失敗に対して誰がどんなフォローしたか。 クライアントが最終的にどんな評価をしたか。

会社の会議などで失敗の検証をすると思うが、 おおかた問題点、改善、結果のみで、その節々にあったエピソードなどは表沙汰にはならないと思う。

会社の呑み会では、会議ではあがらない裏話を聞ける良い機会ではなかろうか。 呑み会の場で、さすがにダメ出しを繰りかえす上司は、 無能さをさらけ出すだけなのでいないと思うが、 くだらないことやバカバカしいことなど、 会議で言えない事くらいはお酒の力を借りて言ってくれたりはする。

フォローしてくれた人に感謝する。
失敗の原因はどこにあったのかを聞く。
実はたいしたことでは無かったことを聞く。

チームというのは、全て一人が背負い込まないように組むものだと思う。 失敗を笑い話に出来たら、それが成長の証なのだろう。 いつか過去の失敗を笑い、あんなこともあったなぁと回顧するのも、 たまに自分を見つめ直す良い機会ではなかろうか。

従って、メリットはある。

マトメ

汚い古い居酒屋で得た一見どうでもよさそうな情報は、 実はいろんなことに気づかされる良いものだった。 大手の企業など実名が飛び交い、内部事情も聴くことができたし (インサイダーではない)職種があえば、一気に営業もかけられそうなものだった。

呑み会に参加しないのはどうか、という議論はあるが、 参加しないで得るものと、参加して得るものはまるで違う。 企業に属さないでフリーでいたい、という人ならサラリーマン以上に、 飲み屋事情に詳しい方が仕事のチャンスをつかめるし、 カフェなどを営みたいという人も、裏でつながっていないと経営が成り立たない、 「なんだかわからない組合みたいなもの」と付き合わなければいけないことがわかる。

結局は人と付き合い、人に顔を売らないと、フリーは確実に詰む。

それらを会社の飲み会を通じて経験値とするのも、 フリーでやりたきゃ大事なのではなかろうか。

これからの労働者は、顔を売らないで仕事や取引をするだろうか。
仕事できる人ほど、顔を見て仕事すると私は思う。 人間模様はSNSでは見えない。
やっぱり飲食を共にし、リラックスした状態でつきあわないと見えないのだ。

3.11

私が呑みに行った日は3月11日。

それについて言及したくないが、否応なしにあの情報が入ってくる1日。 思い出したくないことの方が圧倒的に多いはずなのに、 思い出させようとばかりにメディアが、ブログが、映像や文字にしている。

「風化させてはいけない」なあんて言うが、そんなものは教訓だけでいい。
思い出したくない記憶は風化させてしまいたい。

呑みに誘ったパートナーも私も、すみやかに帰宅してニュースを、 ブログを読んでしまったら・・・。

ということで誘ったかもしれないし、私は乗った。

だから、あの日はまったくブログを見に行かなかった。 あの災害に関して私は被害者ではない。 だからこそ沈黙した。酒を呑んで酔っぱらっても、 災害に触れることは一瞬もなかった。