ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

過去の自分は未来への道しるべ

年末年始の長期休暇で太るための栄養を蓄えながら、 自分のブログを読み返していました。

よくもまあ、こんな駄文を惜しみなく垂れ流したなと逆に関心したのですが、 自分のこのブログを消してしまおうかという考え方には至りませんでした。

それはなぜなのか。

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己の思想は移りゆくもの

あのときは、こう感じた。

振り返れば自分の行いと精神状態、 趣味趣向や未来展望がブログには残されている。

残したいならブログでなくとも良いのですが、 公に発表することで「嫌になったら破棄削除」の選択肢(自分の逃げ道)を 少しでも排除したかったのだと思っています。

発表しちゃったからなぁ。って感じ。

私は単純だから、たとえ誰の目に止まらなくても そんな風に考えてしまうのです。

そしてたまに読み返すと

意思ブレブレじゃん。
変なこと考えてたなあ。
今とは真逆のこと言ってる。

ということに気づけるのです。
それを「イヤだな」って人もいるとは思うのですが、 それも自分の歴史のひとひら

変わった自分を成長と見るか何と見るかは己の判断。 人間がダレもカレも変わっていくのは、 当然のことではないでしょうかね。

安心という精神状態

安心を見込めなくなると、 ひとは安定感を失って「不安定」を得ると考えています。

何かに怯え、何かにひるむ。

残酷な現実と目に見えない恐怖で、 目の前が真っ暗になってしまう。

自分の人生は自分で切り開くのだとしたら、 今までの自分が切り開いた道が後ろには必ずあります。

自分がこの先迷っても、迷いそうでも振り返ったときに道があれば安心はできる。

過去にもそんなこと書いたような・・・

hiderino-akihito.hatenablog.com

己のブログとは切り開いた記録になりうるのでは

そう常々思うのです。
結局、自分を見失うことが一番怖いんですよね。

ただ、振り返りたくないひとだっている。 消すのは難しいから塗り替えていく。 そんな感じでも良いのではないでしょうかね。

残すなら、ありのままを

どうせ残すなら、リライトなんかしないでありのまま残したいなと私は思うのです。

馬鹿なこと言ってたって、極端なこと言ってたって、 それは紛れもなく本当の自分なのですから。

子育てをしていくなかで、 親というものは時々自分を見失うものだと思いました。 それほどに子供の成長は早く、自分の思想、 思考が追いつかなくなると、おとなのコッチは大パニックなのです。

自分の道が、今までの道筋から外れていないか。

初心を忘れない作業は、道を踏み外さない作業と同じ。

大掃除でひょんな所から現れた数年前の写真。 今では見られなくなった我が子の幼い笑顔を見て、 自分の切り開いた道を振り返ってみると、 それがまぁ楽しくもあり苦しくもあって、 これからがもっと楽しみになったのです。

written by 日照ノ秋人 これからの私、見てますか?


過去の記事はやはり恥ずかしい

hiderino-akihito.hatenablog.com

hiderino-akihito.hatenablog.com