ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

自分はついに枯渇してしまったのか

コロナだか知らないが得体のしれないもののせいで 子供たちは学校に行けず、大人たちは働けず、 ミョーに冷たいマスク2枚が届けられ、 医療関係者は戦々恐々し、もうワケがわかりませんね。

そーなると、ブログなんか読んじゃう機会が増えそうなワケで、 私もポテコとなげわを食べ比べながら見ていたのですが、 「書きたいことがなくなってきた」 というブログを読んだときに、 ああ、そういえばワタシもそうかなぁ・・・ なあんてぼんやり思ったのですよ。

自分はついに枯渇したのか、と。

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無いときは近況でも書く

私の日常なんてエキゾチックでも破天荒でもなく特に面白いことなんてありません。 当然そんな日常の近況なんか書いたって誰の何の得にもならないのですが、 自己のマインド的に日常を綴るのは良いことだと思ってます。

そんなこと言っておいて、私は近況を書くことがほとんど無かったのですが、 枯渇に直面した私がたどり着いたオアシスが「近況を書く」という発想だったのは、 きっと無理やりにでも何かをひねり出したかったのでしょう。

そーなると、ブログはつまんないですよね。 どーせつまんないのだから近況を書くのはアリってことでもありますよ。

さてさて、ブログ的な能書きは置いといて・・・

私は週三回ペースで更新をしていました。 居酒屋の便所に貼られた「おやじの小言」みたいなものですが、 説教臭いものを週に3回もアップしていたなんて、 自分でもおぞましいし、読んでいただいている方には 申し訳なく思ってしまうのですが、「週三回」の枠に当てはめておかないと 私の性格上ダメなんだろうなって思っていたのです。

2020年の年明けから年度末特有の繁忙。 私が主担当であるプロジェクトが5月末で終わるための追い込み。 世間は得体のしれないコロナ騒動で完全にブログは放置でありました。

書かない、読まない、触れない。

そんなブログ人のワタシは私としてアリだったのかと思うと、 「おおいにアリ」だったわけです。

ブログって頑張るとつまらなくなる・・・
読む人の事ばかり考えると硬くなる・・・
それらに気づいたりすると、「週三回」のくくりもバカバカしくなって、 読みたいときに読み、 書きたいときに書き、 東ニ病気ノコドモアレバ活動自粛デ行ッテやれず、 奔放につぐ奔放。

そう、私の近況は「奔放(ホンポー)」でありました。

不思議な使命感を持ってしまっていたのか

書きたいことを書こう。
というより
書きたいことは書かなきゃ。
と、いつのまにか変化してしまっていたようで、 ブログ人にありがちな「読む人に向けすぎ」の意識を継続しすぎたと自分では考えました。

自分らしくない。

顏も本名もわからないのだから、自分らしさなんて 表に出したって仕方ないのだけれど、 オリジナリティを少しでも打ち出さないと、 ありきたりな説教臭い「お得ブログ」になってしまうのが ブログというものなんですよ、たぶん。

で、オリジナリティとは・・・と掘ってみると
キミ、枯渇してるよ。
という現実に直面し、遠くを眺めてホッとしてしまう自分がいる。

無理やり出さなくても良いんじゃない?

最近のコロナ騒動を見て、
ジタバタしたって仕方ないじゃない?
と途方に暮れる自分と妙にリンクしてしまって、 リアルに「生きる」ことを考えなきゃいけないのかなぁ、能力全振りで。

そうするといつか湧き出す。
そう、それは下ネタではきっとない。

written by 日照ノ秋人 生きてなきゃ会えない人がいるのだ