海外では医療従事者を称え感謝するために、 夜ごと一斉にベランダに出て拍手をするのだそう。
医療に関わる方々は、その拍手をどんな風にとらえるのだろうか。 感染している患者は拍手を聞いたらどんな気持ちなのだろうか。
伝える側と受け取る側。
双方の気持ちは、
たいがいの場合すれ違う。
すれ違うからストレスなんだよなぁ・・・。
感謝と感動は似ている
いやぁ、実に美味いタリアテッレだなぁ。
チミチミ。
これを作ったシェッフ~を呼んでくれたまへ。
まったく。
シェッフ~(シェフ)を呼んで何をするかと言ったら、
チミチミ、サイコーだよ!
ボクのおふくろの味そっくりだよ!
なあんて言っちゃって、ひとり感動している。
そりゃあ「感謝している」想いは伝わるけども、 シェフにしたら残さず食え!とか、お金多めに払ってくれないかなとか、 そんな程度なんですよ、きっと。
温度差が違いすぎると
伝えたいことが全然伝わらない。
人間って奴ァ、そんな程度なのです。
一緒に花火見に行って、ひとり感動して泣いちゃってるパートナー見たら引くでしょう?(個人差あります)
同じ温度で同じ感動したら、それはわかちあえた感動。
温度差が違えばただの場違いさん。
感謝も感動も、一方通行では重みがない。
では、医療従事者に向けられた無数の拍手は夜空を横切ってどのように伝わっているのか。
感謝を押し付けていないか
必死ですよ。
いやあ、身内に医療関係者はいないけれども、 手の洗いすぎで手が真っ赤だとか聞くと、 紛れもなく必死。
非常事態宣言が解除とはいえ医療の現場では治療中の患者もいるし、疲労も限界に近いと思う。(これで第二波が来たら医療崩壊するのではないか)
門外漢の私が言及するのも大いに野暮なのですが、 医療崩壊との終わりなき際どい一線をギリギリで進んでいるように見えます。
そんな中、医療に関係のない者からの感謝なんて、 心に届き響くのでしょうか。 心に余裕が無いのに響くのでしょうか。
な~んか違和感を感じるのは、感謝を「押し付けている」様に思えるから。
医療従事者に何かを伝えるよりも、 手を煩わせないことが最善ではないかって私は考えているし、 多くのひとも同じように考えていると思うゆえ、 「押し付け」に映るソレは自己満足でしかないような・・・。
こんな時に伝えなくていい
状況とタイミング。
本当に伝えたい事だったら、大いに考えなきゃいけないことだと思うのです。
感謝を伝えて己の気持ちを済ますだけなら、 無理に伝えなくて良いことでもありますよね。
簡単な「感謝」に逃げず何をすべきか、しないでいるべきかを考える。
伝えたいことは伝えなくても、 結果的に間接的にでも彼らの支援につなげる。
感謝の気持ちってのは押し付けない。
そこまで考えて「場違いさん」を回避する。
こんなとき、カッコつけなくていい。
って言葉が浮かんだ私は大きなブーメラン喰らって家に閉じこもるのです。
written by 日照ノ秋人 健康を維持することが最大の支援