ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

夏休みの宿題

夏が嫌いです。

理由はいろいろありますが、
暑いから、暑いのキライ。
それが一番の理由ですね。

アダム(全裸)っても暑い。
これ以上脱ぎようが無いってのは絶望です。

アダムったまま水色のアイスクリームを買いに行くこともできませんし、 成す術無しのラビリンスサマーで、素敵な笑顔なんか振り撒けないんですよ。

夏が嫌いな要素、他にもあります。
※以下、戦争、兵器なるワードがあります。

f:id:hiderino-akihito:20200813145248j:plain

戦争

この時期になると、どうも気持ちが暗くなります。

6月23日、沖縄慰霊の日(事実上の沖縄での終戦
8月6日、広島原爆投下、慰霊の日。
8月9日、長崎原爆投下、慰霊の日。
8月15日、終戦の日

遠い昔の事なのに今でもニュースで取り上げられること。 日本人や日本に関わりあるひとなら切っても切れないこと。 それが戦争であり、この時期なのです。 それらを目にすると、どうもダメなんですよね。

当事者じゃないからアレコレ言いませんが、 「繰り返しちゃいけない」みたいな論調、 あまり好きではありません。

憎しみは憎しみしか生まない。
それは違うと思うんです。(個人差あります)
憎しみだけでなく痛みや苦しみなど、 いろんなものを生んでいるじゃないか。 それに「怒り」を混ぜるから「憎しみ」になるんじゃないか。

「怒り」はどこにぶつけたらいい? 諸外国なのか、日本の将校たちなのか。 当事者はたぶんわからなかったと思うんです。

残ったのは悲しみと瓦礫(がれき)だけ。
人だけでなく、物(モノ)も死んだ。
だから、嫌なんだよなぁ。

物づくり

私はザックリ言えば、物づくりの仕事に就いています。 何もないところへ何かを造るという仕事は、 造る物に対する愛みたいなものが絶対に必要だと思っています。

だって自分が携わるんだから。 自分の手を汚し、頭を使うのだから。 そう思っているわけです。

思っているからこそ誇れるし、 自信を持って売り込めるわけですよ。

ただ私が仕事に就いて20年余り、 「愛」だなんて言っている人に出会えたのはたった2人だけ。 もちろん彼らに感化されて今の私がそう思っているわけです。

多くの「物づくり人」は、その物について話をすると、 機能うんぬんの話はできるのですが、その根底にある思想まで深く聞くと、 大概の場合「昔からそうだったから」に行きつきます。

昔からそうだったから昔のまま。

仕事をしていて痛感するのは、 過去を踏襲しすぎている ということです。 過去を否定し過去を超えてきたからこそ進化を遂げた今のオレたちのハズなのに、 過去を踏襲するだけで良しとされる物づくり。

それではあまりにシステマチックで、独自性に欠ける愛の無い冷たい物ですよね。

でも大手メーカーなどでは、 新しい手法や思想を盛り込もうとする意欲と独自性を持った社員を追い込んだりする。

それなのに日本の素晴らしい技術が~ なあんてテレビなどで言われると悲しいわけです。 未だに過去を超えていないのに、と。

「時代遅れ」が技術にもたらす影響は、 出来上がった「物」よりも人間の「頭」ではないか。 そう見ると、戦争の結末が何によってもたらされたかがうっすらと見えるような気がします。

兵器を造る気持ち

物づくりに愛みたいなものが必要。

ではそれが「兵器」だった場合どうだろうか。 それを考えさせられたのがこの記事。


mata1.hatenablog.com

「愛」3人目、見つけた。 (記事をお借りします)


私がもし、兵器を造る技術者だったらば、 どんな気持ちだったのだろうか。 「愛」だなんて言えただろうか。

考えれば考えるほど、わからなくなるんですよね。 最前線に行かないなら「憎しみ」なんてものは他の人より薄いかもしれない。 淡々と作業をして、人や物をやっつける道具なんだなぁって一瞬だけ思ったりするのだろうか。 造ったものが破壊されたら悲しいだろうか。 そんなことすら考えないだろうか。

製造に、修理に、手を汚して作業した技術者が絶対にいたわけで、 技術の凄みよりもその時の心境が知りたい。 それは戦争の違った見方として、汲み取るべきものじゃないかって思うのです。

思い出したくないものは風化させたらいい。 当事者じゃない者が口を出すべきではない。

そう思っている私は、 多分ずっと汲み取れないんじゃないかな。 そう考えるとモヤモヤが止まらないんですけどね。

教育を紡ぐ

最近の学校教育は、存命する戦争体験者が少なくなってきたこともあり、 かなり軽くなってきました。

おとうさんやおかあさんに戦争が どういったものだったかを聞こう

みたいな感じ。

私に聞かれたって何にも答えられないんですよ。 だって当事者じゃないし、モヤモヤしてるし。 私が小学生だったころは、学校が戦争体験者のじいちゃんなどを紹介してくれて、 班を作って聞きにいきましたね。

笑顔で迎えてくれて、半分くらい何言ってるかわからない じいちゃんを「何言ってんだコイツ」みたいな目で見てテキトーにメモったりしていると、 じいちゃん、泣き始めるんですよ。

俺もあそこで死にたかったとか言って。

大人になってその涙の意味、ちょっとだけわかったな。 子供の頃は「何泣いてんだコイツ(笑)」って無邪気に思ってたけど。

だから、戦争の教育は子供たちには「早すぎる」と思うのです。 子供では、全ッ然汲み取れないですから。 それがなにより「憎しみ」が単に憎しみだけでなく、 複雑なものである証拠。

たぶんまだ悲しみと苦しみは、 子供たちの知らない所で続いている。 それをどう紡いでいくか。 夏休みの宿題は、大人にもある。

written by 日照ノ秋人 終戦の日に寄せて


夏が嫌いな理由、他にもあります。

hiderino-akihito.hatenablog.com

hiderino-akihito.hatenablog.com