情報を拾いたがる現代人を傍から見ていると、 自分も少なからずそうであるくせに、 ヤダなぁ~ なんてなぜ思うのだろうか。
ながらスマホに苛立っては、 なにをそんなに調べる必要があるんだい? と、ほぼ毎日思っているここのおじさん約一匹は、 理屈や理論で動いてしまう社会に対してそろそろ疲れてきている。
ブログで理屈を並べているクセに、だ。
こうなったら、意識的に理屈で考えないことを始めていかないと、 人間は疲れてしまうのではないだろうかと思った私は頭になにも詰め込まない無を甘受すべく、 浮かんでは理屈で考えないことをこの場を借りてイメトレするのだ。
なぜヒトを好きになってしまうのか
本能のなせる業なのか、それとも神のいたずらか。
「惹かれ合う」ことに理屈なんていらないんですよ。
だのに人間というのは、「オスの特性」とか 「節理である」とか、物々しい枠組みに当てはめて勝手に納得しようとするのだ。
そんなことはどうだっていい。
S極とN極みたいなもので、惹かれ合うからなのだよ。
考えたって無駄なのさ。
地球はなぜ自転しているのか
地球の都合か、それとも神のいたずらか。
な~んか、回りたかったから回っているだけなんですよ。
引力がどうとか、重心がどうとか、 メカニズムを追求することが「人類の答え」としてしまっているのだ。
結局、人間の考える範囲から脱却できない「理屈」という推測は、 ただの自己満足なのさ。
回りたかったのさ。
自然に回ってしまったのさ。
だったらずっと好きに回っていたらいいのさ。
ひとは何のために生きるのか
生物の突然変異か、それとも神のいたずらか。
ひとは何のために生まれて死ぬのか。
センセに聞いてもわかんないし、 「導いてみせよう」なあんて言うひとはインチキだと言われてしまう。
そんなこと誰もわからなくていいのさ。
カッコつけて「それを知るために世代交代しつづけるのさ」でいいんだ。 答えのない問題は、それほど大問題にならない。 スルーしてしまえば、みんないつか忘れるもんさ。
問題があるのは人間のみ
それらの現象や節理。
ふんだんに誇張するのはいつも人間だ。 考えるからアホなんだ。
理屈は自分で編み出したプログラム。
みんながそれだけで動いたら人間はいらなくなってしまう。 アドリブのきかないつまらない人間になってしまう。
惜しい。
せっかく高性能の人間なのだから、 たまには脳ミソを休ませてどんな大問題も自然にスルーできる瞬間を、 お茶コーヒーでも飲みながら贅沢に過ごそう。
理屈を捨てたら楽になる。
理由も捨てたら楽になる。
我々現代人はきっと皆、そうなんじゃないかな。
このブログを続ける理由は・・・
まぁ、理由なんか無い。
written by 日照ノ秋人 何も無いことこそ清々しい