ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

食べるラー油は俺たちのものである

我が家の冷蔵庫には私だけのコーナーがあり、 そこには必ず置かれているものがある。

それが「ごはんですよ」と
食べるラー油」なのだ。

奥様が体調不良やら突然の実家への旅行やらで不在となった時、 料理の出来ない私は炊飯器を「生命線」と呼び、 とりあえず白米だけを炊く。 そして我が冷蔵庫のコーナーからそれらをそっと出してやるのだ。

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なんか人気なくなってないですか

あれだけ騒がれた「食べるラー油」も野茂のフォークばりに人気が急降下して、 テレビやらで全く取り上げられなくなってしまった。

会社に行けばテレビとふれあうことが無く流行に鈍感な旦那諸君は、 家に帰って奥様に突然見せられた「食べるラー油」にキョトーンだったのではなかろうか。

ムーブメントは往々にして女子方面から広がり始めるし、 女子に好かれたい女々しい男も、女子に負けじとムーブメントに飛びつきはじめて世間一般に広まってゆくのだ。

そして熱が冷めたらこのありさま。
今なんて「食べるラー油」でブログを検索したら、 9年前の記事が出てしまうほどの体たらくなのである。

ムーブメントが去ったら

皆誰も見向きもしなくなった「食べるラー油」の末路とは、 冷蔵庫にひたすら保管されるだけではなかったか。

人間とはいいかげんなもので、いつもムーブメントに踊らされ、 次々と飛びつき忘れ去ってしまう。

あまりにも可哀想でないかい?

そして、冷蔵庫に取り残された可哀想な「食べるラー油」は、 さみしがり屋な旦那諸君の目に留まる。

俺と、一緒だ。

もうひとつの末路とは「旦那がせっせと処理する」ことだ。

つまりは我が家の冷蔵庫事情のことである。

俺たちのラー油

いつも女が飛びついて、
残されたものを男が処理する。

そんなことも作っているメーカーはすでにお見通しのようで、 今の「食べるラー油ファン」は私の様な旦那諸君しかいなさそう。

そして商品名にもそんな
「コアなファン向け」
として売られてしまうのだ。

エスビー食品「俺たちのおかずラー油」

product.rakuten.co.jp

すがすがしい。

女子を受け付けないこの名称。
「俺のラー油」じゃなく「俺たちのラー油」。

私が補足すれば、
「寂しがり屋で哀れな俺たちのラー油」
なんである。

これを仕掛けた人は、きっと私同様「だんな冷蔵庫事情」に精通した寂しがり屋ではなかろうか。

奥様に、娘に、軽くあしらわれる旦那衆が赤ちょうちんに集うように、 晩御飯に困ったら「俺たちのラー油」をチョイスする。

白いご飯に「俺たちのラー油」のみという光景を、 私は「粋(Iki)」と呼びたい。

佃煮?ふりかけ?塩辛?
そんなものは無粋だ。

たまには強がったっていいじゃないか!

祭りのあと

ムーブメントは祭りみたいなもので、 さんざん盛り上がったあとは必ず空しい静寂が訪れる。

食べるラー油がそうだったように、
タピオカもそうなるのだろうか。

ちょっとピリ辛
ニガじょっぱい。
ビールがすすむ。

そんな「俺たちのタピオカ」を、
私は待っている。

written by 日照ノ秋人 祭りのあとの静けさは告白のチャンス


この時期に風邪ひいたらきついですね
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