ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

脱力を考える

肩がこる。

仕事中、イスの背もたれに身を預け、
職場の天井を見上げてみると、
痛烈に感じる疲労感。

今日も集中してやってしまった…。

バッキバキの体を引きずって帰る。
明日は美容院の予約が入っているなぁ…。

チョッキンタイム

電動チェアが心地よい。

自動的に背もたれが倒れ、洗髪をする。
顏に紙のようなものが置かれ、
視界が遮られる。
この瞬間、身をゆだねるしかなくなる。

まな板の鯛だと思うと、
観念している自分に気づく。
その割に、体にはチカラが入っている。

指令!
脱力せよ!

いや、出来ない。
なぜだ、なぜだろうか。
シャンプーの香り。
只今から思考のトンネルに突入する。

原因を追究する

頭は脱力を意識している。
体は電動チェアに身をゆだねている。

だのに。

体に力が入っている。
原因はなんだ?

呼吸だ。
呼吸が浅い。
写真に映るときは息を吐けと
言われたじゃないか。

呼吸を意識する。
体が電動チェアに押し付けられる感覚。
肉よ、ブヨブヨになってしまえ。

原因を追究するその2

視界。
呼吸。

何かに夢中になると
狭く浅くなるもの。

物事は広く見たい。
少し距離を空けて見たい。
たまに斜に構えて見てみたい。
時々何も見たくない。

そうか、これらが満たされていない。
満たされていない原因は何か。
ああ、スマホとか本とかパソコンだな。

リラックスできていない

紅茶に砂糖でも入れて、
本でも読もうかしら。

休日のアフタヌーンがどうのこうの言って、自分でリラックスタイムを演出するのだけれど、実際は体の力が抜けていない状態だったりする。いつ何時、くせ者が斬りかかってくるやもしれない時代ではない現代の我々が、力を抜かないで臨戦態勢なのはおかしな話。

誰と戦うのか。
戦うとしたら時間か。
タイムイズマネーは戦争だ。
そんなものは平日だけでいい。

フリーな時間は手放しの自由か。

いや、フリーの中に「休息」とやらを
意図的にねじ込まないとどうやら私はダメらしい。

脱力せよ

休息という行動をする。
素晴らしい予定じゃないか。

みんなが何かしらやっている時に。
そう、みんなが鼻の穴を膨らまし、
汗を流しながら何かに没頭している時に。
私は休息という予定をこなしているのだ。

脱力せよ。
脱力せよ。

深く、穏やかな呼吸と脱力により
休息は「昼寝」にグレードアップする。
時間を無駄にしたとか思ってはいけない。
そもそも時間を無駄にする行動なんて
あるのかしら。

愛は私を救わないが、
脱力は確実に私を救ってくれる。
休日を無駄にしたとか思わない。
私は休日に「休息」という任務を
遂行したのだ。

本来なら達成感を味わったって良いくらいだ。しかし、この休息というものには達成感というものが存在しない。「ああ、よく寝た」感は若干あるもののな~んか損した気分になってしまうのだ。

仕上げを意識する

休日に「休息」という任務を果たした
私とて、最後の仕上げは抜かりない。

ここで早寝を実行すれば、
私は万全といえよう。
そして万全を手に入れた私に
ついに達成感が訪れるのだ。

しかし、昼寝までしてしまった私が都合良く夜に寝られるワケがない。脱力を意識するあまり夜更かしを 手にしてしまうわけであるが、みんなが夢の中で飛んだり回ったりしているときに、私は静寂そして終わりなき自由を手にしているのだ。

これは、脱力している場合ではない。

フリーな時間は手放しの自由か?
みたいな事を言ったような気がするが、
夜の自由は両手離し自転車級のフリーだと思う。
※両手離し自転車は危険なのでやめましょう。

太陽の下「休息」をこなした私は、その夜に鼻を膨らまして我が道を両手離し自転車で駆け抜けるのだ。

こんな夜中に誰と戦うのか。
戦うとしたら時間か。
フリータイムは戦争だ。
そんなものは休日だけでいい。

翌朝

眠い。

無理やり起きる。
体には力が入っている。

一週間がはじまるのか。

脱力を考える前に反省を
しなければならないが、
週初めの反省ほど効力のないものは無い。

金曜にとっておこう。

それで呑んだら忘れてしまう人生を、
まぁ長いことやっているのです。