ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

やるじゃん看板

世の中ではWEB広告など宣伝に関する様々な形が登場し、 錆びついたままそびえ立っている看板というものがもはや「レトロアイテム化」している昨今、 もうそろそろ街から無くなるのかなぁとノスタルジー全開で考えていたら、 幼い子供が指さして「と」とか「の」とか、自分の読める所だけ読んでいる光景を見て私、思いましたね。

「看板、要るじゃん」と。

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街中には学びがある

子供にとって、街中は「学ぶ場」でもある。 いや、大人にとっても同じなのだが、 子供は看板の文字が読めたことで褒められ、褒められたから嬉しいし、 自分も読めたという達成感も相まってさらに読めるように努力するのだと思う。 親御さんにとっては我が子の成長を感じ、少しの達成感と多くの安堵に包まれるのだ。

そんな事に「看板」が関わっているのだとしたら、 広告業界で「看板など不要だ」とオノレのモノサシを振り回している 諸兄ら諸君は「まだまだだな」だと思いたくなる。

看板は作られた時代での最高のデザインとフォントと、 看板職人の技量が「当時のまま」投影された作品でもある。 昭和初期の看板などが「レトロアイテム化」されて高額で取引されたりするわけだし、 一概に「看板不要」というのもなんとなくさみしいものだ。

じゃあ、こんなエラソーなことをふんぞり返って考えている私は どう考えているのかといえば、「看板など不要」だと考えていた。 台風で飛んでいくし、「広告主募集」とだけ書かれたさもしい看板によって 街の景観が乱されていくような気さえする。 看板によって見通しが悪くなった交差点で花やお菓子などが手向けられていたら、 それこそ「不要」だと撤去を求めたくなる。

人は人の死から学ぶのだと言われたらアッソ~なのだが、 死ぬよりは生きている方が学びは多そうだし、 そもそも「生死」をこの妙なブログで語るのも野暮ってものでしょう。

伊達直人諸君

全国には謎の「伊達直人」なる人物が存在する。 それは知る人ぞ知る、知らない人は全く知らん「タイガーマスク」の正体なのだが、子供たちにランドセルなどを寄付したりと、いったい金の出どころがどこからなのかわからない、ひょっとしたら汚い金で手配されたものかもしれないブツを寄付する諸君らがいる。

そこで彼らにも看板業界を救うべく、「広告主募集」の看板を全て「タイガーマスク参上by伊達直人」みたいな看板に変えていただきたい。

おっと。

それでは子供たちが読めないので、「タイガーマスクさんじょう!はたして、きみによめるかな?だてなおとより」 「あ行」から「ら行」、「ん」まで使った、まさに教材。残りも使えば、 「タイガーマスクさんじょう!はたして、きみによめるかな?だてなおとより、わをっ!」 という謎の広告にもなるだろう。

入学式ももうすぐだからランドセルも手配しつつ、 看板はすぐにでも設置していただくカタチでどうか、 伊達直人ィック(ダテナオティック)にキメていただきたいと思うよ、私は。

written by 日照ノ秋人 これぞ他力本願