そんなに価値の無い物に勝手に価値を付けて 儲かってんじゃねぇよ!
とアンディーが言ったかどうかは定かでは無いが、 現代人ってさ、実態の無いものが好きだよね。
私は人間の女子が好きです。
日照ノ秋人です。
2次元とかさ、ダメなのよ。
バンクシー
イギリスの覆面芸術家。
なんスかね、覆面芸術家って。
実態不明、個人なのかグループなのかも不明。
ひょっとしたら世界中にいて、同じ思想、理念ならば誰だってバンクシーになれるという感じでしょうか。
私もサザエさん、あなたもサザエさん的な。
話題が話題を呼び、話題が価格をつり上げ、 テキトーに描いた絵に高値をつけて売買してんじゃねーよ と言わんばかりに、オークションで落札された絵にシュレッダーでズタズタにしようウッシッシ作戦を実行しようとしたバンクシー。
額縁に仕掛けられたシュレッダーが落札のタイミングで作動して、 絵をズタズタにする! はずだったのだが・・・。
失敗
オークション会場の誰もが、オーマイガァァァァ!という阿鼻叫喚の断末魔で埋め尽くされ、 短冊状にポロリと落ちた絵をどうしたらいいかわからない!
という絵面を期待していたであろうバンクシー。
結局は失敗し、糞詰まりの製麺機みたいに途中で止まってしまったわけだが、 その瞬間の会場の空気は私にとって最高のものだった。
特にリアクションがすばらしい。
オーマイガァァァァ・・・ア?
なんである。
その後に流れた
何が起きたんだ感とか、
何がしたかったんだ感とか、
なんだかよくわからない空気を提供してくれたバンクシーはさすがゲージュツ家だな、ひと味違うなと思ったのだ。
落札者はどんな気持ちだったのか。
さっきまで巨額の軍資金で競っていたひとはどんな気持ちだったか。
いきなり始まったビリビリタイムにいったんは驚いて、
悲しいような、
ザマミロなような、
不思議な人間模様がそこにあった。
宇都宮の餃子像がぶっ倒れて粉々になったときの、 「すこし悲しい」空気である。
そして私と同じように大爆笑したであろう人物がもうひとりいる。
アンディーウォーホルである。
アンディー
現代風に言えば、
人がなんらかの思惑でくっつけたステマ的価値観だけで 値をつり上げる「芸術知ってますかぶれ」の連中なんかダメだ!
の体現者、アンディーウォーホル。
写真を加工して版画にしたりして、 表面のインクよごれみたいなものも放置して、
こんなコピーみたいな手法の作品、芸術でもなんでもない!バカ!
と戦い続けたアンディーは、結局それでも価値観をつけられ高値で取引された「ポップアート」だのをどう思っていたのだろう。
きっと、オークションでよくわからずに高値をつける成金の大衆に一泡吹かせてやりたいと思っていたはずだ。
バンクシーのズタズタウッシッシ事件も、 アンディーが生きていたら支持したのではないか。 そして大爆笑したのではないか、と思うのだ。
アンディーもバンクシーも、現代人の「価値観」というものに、 疑問を持っている・・・というかうんざりしているのだろう。
それくらい現代人とは、本質を見ることができないのだと思う。
現代人は実態の無い物が好き
絵画に音楽、今では通貨までもが無闇な価値観で値を上げ下げしている。
難解で、理解なんか出来ないけれど、あの人が、あの有名なあの人が それを褒め称えればそれはすばらしいと思うのが現代人だ。
君はコレがわからないか?
この理解しづらいものの背景にはこんなことがあるのだよ。
なあんて深読みして評論家ぶるひとに追随してこそ、 流行り物、シャレオツとしたいひとは大勢いる。
そういえば私が学生の頃の音楽もそうだった。
藤原ヒロシが、NIGOが、「コレ良い」と言えば
その曲はシャレオツとされて売れたのだ。
そこに音楽の本質は無かったし、クオリティも無かった。
ただ、影響のあるひとが「良い」と言っただけだった。
それに反発した歌手もいた。
アンディーもそうだったし、バンクシーもしかり。
彼らにとっては悲しいことに、こんなものに価値はないよとネタばらししても、 いまだにアンディーやバンクシーの絵は高値をつけてしまっている。 バンクシーのビリビリ事件は、根本からの破壊を目論んだわけだが、 結局途中で止まってしまった絵は、「途中まで破れた絵」として 付加価値がついてしまった。
情けないことに、現代人にとってはなんだって良いのである。
バンクシーが鼻くそつけたっていいし、 ホリエモンが、藤原ヒロシが「良い」って言えばそれでいいのだ。 本質が見えなくたっていい、付加価値は「誰か」がつけるから。
だったら男女もなんだっていいじゃないか。 性格がどうあれ、見た目がどうあれ、年齢がどうあれ、 本質なんか見ないんだから、誰だっていいんだ。
結婚して13年。
我が家の夫婦げんかは、こうして一旦は平和になる。
こんなのもあります。