日本の歴史と言ったら聖徳太子。
17条ケポーンのひとですね。
以前私のブログで、「聖徳太子」がいつのまにか「うまやどおうじ」という名前で教科書に載っていたなどと書いていたわけですが、今はどうなのかと我が子の社会の教科書を奪い取って見てみたらなんと…的な結果だったので今回はソレについて。
2021年の教科書では
なんと「聖徳太子」と表記。
「聖徳太子(うまやどおうじ)」とか、「聖徳太子withうまやどおうじ」とかではなく、以前のソレが無かったかのような突然のソロプレイであります。
何故、日本の教科書ってこうなのでしょうか。蛇行運転を繰り返し、聖徳太子世代とうまやどおうじ世代を作り、互いに「ダレソレ?」を提供する書物こと教科書。
これは「聖徳太子推進委員会」みたいな勢力と「うまやどおうじ保存会」みたいな勢力が水面下で闘っているんじゃないかと思うんですよね。当の本人は「どっちでもいいよ~」とか、「どっちでもねぇよww」とか思っているかもしれないのに、置き去りで結構ショーモネー事をコロナとかオリンピックとか言ってる最中に言い合っているわけです、きっと。
こうなってくると歴史を変えたのはかの偉人ではなく、後世の凡人ではないかと思えてきますね。多分、今の定説も長年凡人によって手垢を着けられた状態なのでしょう。
ファティマ第三の預言とか
これはオカルトになるかもしれませんが、「ファティマ第三の預言」なるものもきっとそうなのでしょう。知りたい人は調べてもらったらと思いますが、3つの預言のうち第一、第二と公表され、未だ公表されていない「第三の預言」が何であるかは不明のまま。
不明のままにしておけばさ、後から何だってこじつけられるじゃん、便利便利(ウキウキ)って思っている謎の勢力がいるような気がしますね。別にいてもいいと思うのですが、人を不安にさせたりつけこめる弱みを作り出したりすることで人を惑わせようとする心は実にけしからんことですな。実は「歴史一本化調査団」なる歴史を統一化させる勢力もいたりして、我々の見えないところでやりあっているのかもしれませんね。
ああ、微笑ましい。(冷たい言い方)
これから先、「実は17条憲法ではなく204条憲法だった」とか言い出したりするかもしれませんが、我々はどんな顔で受け止めれば良いのでしょうか。※現代では「十七条の憲法」と教えているようです。
歴史は変わる。
歴史は変える。
歴史を作る。
歴史を塗り替える。
全て可能性のある言葉だと思うと、我々ももっといい加減に生きていたって良いんじゃないかと思います。なんせ、教育者がそうなんだから。