ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

まだまだ生きられるなんて残酷だ

2023年の年明けすぐに、スマホが鳴った。

どうも父親が危篤らしい。 「喪服を用意しろ」とのことなので、奥方にそれを伝え、私だけが病院にむかった。
※面会は少数のみとのことで

ドクターから危なさ加減を聞き、最悪の状況となった場合の 延命措置はしないことを伝えた。 病院としては出来る限りの治療で投薬をしている状態。 これから3日間で薬により復活する可能性はあるが…と お察しモードの説明であった。 私と母親は、苦しませるのはイヤだということで モルヒネがどうとかの説明は寸断していたが、 どうも我が兄が「親孝行が」などと言って渋っていた。

コレが最後かもしれないということで特別に面会が許された。 私はマスクを取って自分の顔を見せてやった。 もちろん看護士さんに怒られた。 これが最後の親孝行だなと自分で納得した。 苦しそうだったし、もういいよとしか思えなかった。

その後の家族会議で兄を説得した。 私は死にそうになった体験をしているので、 「苦しみが長引かない最後は幸せなことなのだ」と もっともらしい事を言って納得させたのだが、 自分が健康でいるときにはどんな事でも言えてしまえるような気がして、 自分で納得出来なくなった。

まあ兄も納得したことだし、人間いつかは死ぬんだし、 ダラダラ生きるよりはいいよねといういつもの軽さで決着したが、 人が死ぬことでやらなきゃいけないことが意外と多くあることに気付いた。 父親にはあと少し生きてもらってその間に色々やらねば、が家族として最後の大仕事である。

終活をしていなかったり、即死だったりしたらさぞ大変だろうなと思う。 私の父も終活をしていなかったのだが、一応カウントダウン情報があるわけだし、 まだなんとかなるだろうと。

3日経ったら父は復活した。 ホッとしたとは思えない自分がいたし、母親も同じようだった。 出来ればあのまま死なせてやりたかった、と思っている自分がいた。 延命は必ずしも「良いこと」とは思わない。 なぜなら、父は鬱病になった。

自分の死に直面したことによる無気力の廃人である。 動けるのに動かない。 生きられるのに生きようとしない。 ドクターの指示も聞こうとしない。 でも、メシは食う。 心の底からムカついた。 危篤になったが、自分の体が意思に反して「生きる」という 選択をして復活したのだから、家族とドクターの言うことくらいは 聞くべきだと思う。人は「死にたい」という意思とは裏腹に生きてしまうものではないか。 それはまだまだ生きられるゾ、ということなのだろうが、 生きて何を?という状態になってしまったひとに、 「まだまだ生きられる」とは残酷だ。

生きることが選べないのなら、せめて死ぬことは選びたい。 これが父を見て芽生えた私のわがままである。

親孝行とはなにか

兄が言う「親孝行出来なかった」みたいな感傷は私にはわからない。 私もよく親戚に「親孝行しなさい」と怒られたクチだが、 なぜ勝手に造って勝手に産んで、且つ親孝行しなければならないのか。 子供として、そう言われる事が全くわからないのだ。

「親孝行しろ」というのは親のエゴでしかない、と今までず~っと思ってきたし、 おそらく私は自分の子供に言うことはないと思う。いや、ない。 孝行するほど、アナタは素晴らしい人間なのですか?と言われたら、 首を縦に振る勇気も自信もないのが私である。

なんせ親のエゴなんだから、親のために子供が動けというのは 実に都合の良いわがままなんである。 ただ、自分が死ぬ時の後処理などは、どうしても子供に頼らなくてはならなくなる。 それはちょっぴり胸が痛むが、意外と大変なことなので大変にならないよう、 終活はしっかりやっておかなくてはな、と思う。

もっと突き詰めれば、自分の幕引きくらいは自分の意思で行いたい。 かといって自殺は多くの人に迷惑をかけるので出来ないが、 死にそうで担ぎ込まれた父が最新の医療で生かされ、 ただの廃人になってしまったことを考えると、 医療行為が最善の行為とは思えないのだ。

だからすっかり私は「安楽死」なるものに関心を寄せてしまっている。 誰だって苦しみたくないからその感情がなくなるまで生かされ続けるのだろうが、 それは逆に無情じゃないか、と思うのだ。

だから「もういいです」って言えたら楽なのだろうか、と思う。

でもきっと怖いだろうな。

私の手術の時ですら「死んでも悔いなし」と強く思い臨(のぞ)んだのに、 意思に反して体は恐怖に包まれたのだから。

夫婦そろってイナズマに撃たれるのが、一番後腐れが無いかなぁ… と言うとモーレツに反対を喰らった私である。 父のせいで自分の死にザマまで考えてしまった。 罪と罰。 長生きは、罪を作り罰を受け続けるだけなのかもしれない。


年明けの出来事から約半年。 父は亡くなった。

葬儀などの打ち合わせで母の毒親ぶりを再確認した私は、 葬儀社で母とケンカしながら、父の長年にわたる気苦労を 思い知らされたわけだ。 あっけなく、ぽーんと逝ければそれは幸せな事だと思う。 今の治療は「やりすぎ」で、やりすぎだから「生きすぎ」なのだ。 悲しくて泣くんじゃない。治療費を払い続ける地獄の様な現代に我々は泣いているんだ。

そう思えば「悲しみ」を薄れさす約半年という 生(逝)き様を見せてくれた父には感謝しかない。 葬儀のさなかでも、これを書いている時でも、 私は全く泣いていない。 梅雨の嵐の前の、一瞬の晴れ間が悪いんだ。

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