ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

知識と知恵は違うのか

これは私の感覚ですが、

知識=頭でおぼえるもの

知恵=体で覚える感覚的なもの

せっかく覚えた知識を使えず、 使うタイミングもわからない、 ただ周囲の人にひけらかすだけという 頭でっかちさんは日本に多いと思います。

みなさん、いい歳こいてますか?
日照ノ秋人です。
f:id:hiderino-akihito:20181028225458j:plain

知識だけがある人は優秀だといわれる

知識が詰まった人は学校教育にベストマッチングなため、 「優秀だ!君は!君なのか!優秀なのは!」と チヤホヤされるわけですがその優秀さを発揮する場所、 タイミングまでは感覚的に理解できておらず、 体得できていません。

典型的な知識人間は言い方に現れます。

焼き肉屋にて

知識人間でないひと
「お肉を焦がしちゃだめよ、食べちゃだめよ。」

知識人間
「お肉がアミノカルボニール反応を起こす前に 食べないと、苦みがあったり体に悪いのだよ。」

・・・まわりくどいなぁ。

私が自分の奥さんの学力がどうなのかは はっきりと知らないのですが、 私と同じ高卒ですし、キレものの知識人間では ないと思ってます。

ですが、生きる上での知恵はしっかりと 備わっており、アイロンの当て方の角度から 料理の時間管理など、知識だけではどうにもならない 感覚的なことをたくさん学ばせていただいています。

自分より、そういった生きる上での知恵を 持っている奥さんを私は尊敬しています。

知識は割と身に着けやすい

体得する必要が無いため、本を読む、人から聞くなどで 知識の「量」を得ることは簡単です。

そんなんだから、「受け売りの知識」から「わがもの顔」となり「得意顔」に変貌します。

それを、「君はわかっている!」と評価してしまうので、面接官なんかは 知識だけで簡単に煙に巻けます。

知恵は評価されにくいもので身に着けにくい

アイロンのかけかたは知識だけでなんとかなるかもしれませんが、 一品一品「どのようにかけるのが良いか」という臨機応変な対応は 経験によって培われた技術と、深い感覚的な理屈が無ければ 「良い仕上がり」に導く可能性は低くなります。

そのことを知っているかどうかで、「知恵」というものの「価値」が見えるようになります。

逆にそのことを知っていると、「知識」だけの技術に「価値」は見いだせなくなります。

しかし、世の中の評価対象は「知識」の有無で決まることが多いのがわれらがジャパンという社会。

世の中の主婦や主夫が、生活の中で経験した「知恵」というものの本当の「価値」をもっと評価すべきとおもうのです。

マトメ

「知識」だろうと「知恵」だろうと、このふたつの文字には「知」という文字が含まれています。

だから「知る」ことは大前提であって、あたまに詰め込むだけでは完全なものとは言えないのではと思います。

人類が滅亡の際、箱舟の設計を理屈から構築していく人よりも、紐の結び方、木の切り方を知っている人の方が後々役に立つような気がしますよね。

窮地に陥った際、どちらが解決に導くか。
そう考えるとおのずと答えがみつかるかもしれません。


こちらもぜひ。

hiderino-akihito.hatenablog.com