今年は前厄ということもあり、去年の暮れからフライング気味に神々のバチを食らっています。
これは日々、感謝の気持ちが足らないのだと思い、 今回こうしてカタカタとキー坊を打ち鳴らしているのです。
いつも見に来ていただいている皆様、うっかりこのブログにアクセスしてしまった皆様。
そして私が読者登録をし、楽しませていただいているブロガーの皆様。
本当にありがとうございます。
私は1日平均10PVあれば、とりあえずやりがいを継続できるので、
引き続きご覧いただければ幸いでございます。
私はプロフィールにあるように、くだらないことが大好きです。
あまりに好きすぎてかなり屈折していると周りから数奇な目で見られるのですが、 ここ数年、面白くてたまらないものに気づきました。
どうも私は「神事」に弱いようです。
みなさん、いい歳こいてますか?
日照ノ秋人です。
なーんか、神様のこと書くとバチがバチコーンしそうで怖いんですが、 そんなものに恐れる私ではありません。
面白いんだもん、だって。
西宮神社の開門神事
年始の出来事ですね。
私はニュースをみながらゲラゲラと笑っていたのですが、
奥方から「なにがおもしろいの?」と言われ、ハッとしたのが今回のテーマ。
なにがおもしろいかって、あんな暗い時間にしかと並んで、 開門前の待機場所のクジまでひいちゃって、 「かいもーん!」って言いながら門をあけたら、 豪快に走ってくるんですよ、競馬か!
福男になるべく、走る服にしっかり着込んでひとのいない神社を走る走る。 各コーナーにはカメラが設置されており、走る人たちの前から撮影している。 鼻のあなおっぴろげの男たちがいい歳こいてムキになって走っている。
とくに関せずたこ焼き屋台の準備をするおばちゃん。
そしてまぁ、必ずコケるひと。
全てに想いを馳せると、すべて「笑い」の要素が少しずつ相まっているのである。
あんなに準備しておいて、ほぼ待機場所のクジが勝敗をわけてしまっているし、 あんなに準備しておいて、ゴール(と言っていいのだろうか)直前にコケてみんなから嫌な顔もされてしまう。
私がイケナイのは、そんな「嫌な感じ」とか「悲しさ」もおもしろおかしく笑ってしまうんです、反省。
しかも、1番福だの、2番福だの、ガッツリと神社のオヤジに抱き着かれ、 ガッツポーズの福男。
あんなの、絶対に神様は快く思っていないよね。
人間が決めた、人間らしい「見世物」の神事。
神様だって思ってるよ、「新年早々バタバタするんじゃねぇ!」って。
しかも名前が「開門神事」ですよ?
人名みたいですよね。
「はにかみ刑事 開門神事」
テレ朝か!
国府宮神社の「はだか祭」
私の地元、愛知県は「奇祭」の多い土地です。
まぁ、でっかいちんちん神輿がくるくる回るお祭りなんかが有名なのですが、私はそんな「誰もが笑う」ものにはさほど興味ありません。
国府宮神社の「はだか祭」は、全国でも有名なベタな神事ですが、 ちょっとだけ詳細を書きますね。
志願者の中から「神男(しんおとこ)」を決定。 厄災をすべて神男になすりつけ、その厄災を神男が餅に移して埋める。 「はだかの男たち」は神男に触れば、自らの厄を神男になすりつけることが出来るため、 神男はすっぽんぽんで数千人の「はだかの男たち」のいる境内にポイッとされる。 神男は「はだかの男たち」に担ぎあげられ、皆に触られ、「なおい殿」と 呼ばれるところまで運ぶ。
とまあ、この辺りまでが報道で取り上げられるところですね。
クライマックスはやはり、数千人の「はだかの男たち」(ふんどしを装備している) の上に神男が投下されるところ。
一言でいえば「ダイブ&モッシュ」。
すっぽんぽんで、さらには全身脱毛済みの神男がモッシュして人の上に転がりながら、
「はだかの男たち」にベタベタ触られるんです。
まぁそれがクレイジーで表向きはそれが面白いんですが、私はもう少しだけ見方が屈折しています。
それは死者や怪我人の多さ。
はだかの男たちはギュウギュウ詰めなので、人に押され殴られ足踏まれ、 肌と肌が擦れあって火傷なんかしちゃったりしてまで参加してるんです。
まぁ、火傷防止で水や酒をパァ~と撒いたりするのですが、 それでも怪我人だらけ、死者まで出ちゃったりする。
自らの厄を落とすために命がけで触れるかどうかもわからない境内に殺到するなんてまさに「強欲」。 欲にまみれた愚民に神様も胸を痛めていることでしょう。
境内での争いもさることながら、付近の路上などでも「その筋」の人たちが酒飲んで殴り合いの喧嘩なんかして、ノビている人多数。神事なんて言っておいて、ただの人間の強欲まみれの喧嘩大会にしか見えないのです。
そんなものを見てゲラゲラ笑うなんて、なんとバチ当たりなんでしょうか。
(さすがに死者は笑えませんが)
でも神様もきっと、ゲラゲラ笑いながら見てると思うんですよ。
また人間どもがおかしなことやっとるわwww
ってね。
でも餃子像にはかなわない
神事ではないのですが、ワタシが今までで一番面白いことといったら、宇都宮の餃子像がぶっ倒れて粉々になったことです。
街のシンボル「餃子像」が移転することになり、何の保護具を付けることなくクレーンで持ち上げたらワイヤーが外れてバッタリ倒れて粉々に。
動画でも見られるのですが、あの間、あの感じ、施工業者が「あっ」ていうタイミング、 施工業者が凍りつく空気、マスコミの無言映像、全てが完璧。
完璧に笑いに「持って行っている」としか思えないのです。
マトメ
新年早々バッチリ着込んで猛ダッシュ。
怪我をしてまですっぽんぽんの男に触りたい男たち。
筋書きのないアクシデントで粉々になった石像。
全てにおいて共通することは、「少し悲しい」ということ。
悲しいことは「悲しい」以外にないはずなのに、 なんだかウフッとしてしまうのは、悲しいことはすべて絶望ではないということ。 少しでも希望があるからおもしろいんです。
今年はダメだったから来年頑張ろう。
怪我することがすでに厄じゃないかと気づいたからおとなしくしていよう。
壊れたものは新しく作り直そう。
餃子像の動画の最後の方。
観光協会リーダーの女性が困って笑いながら「びっくりですね~」という言葉に希望を感じ、私は神事に対しふざけて笑っているわけでは無いと気づき、自分でフォローしたいと思います。
でも、またバチ当たるんだろうなぁ・・・。
こちらもおねがいします。