ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

並のライターは求めていません

ライター急募!

こんなツイッターを見て、

なんだ、花火でもやるんか?

と思った私を後目に、急速にコメントがついていたので見ていたら、

私はライターです!
よろしくお願いします!
私はこんな文章が書けるライターです!
いつでもいけます!
是非ライターの私に!

荒いんだ、鼻息。
そんなに花火やりたいんか。
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ライターを目指すひとが私のツイッターランドには多い。 石を投げればどこかのライターが 「私はライター、今日も明日もライター、痛ッ!」 と言ってしまうほどに多い。

一体そんな自信がどこから湧いてくるのかはわからないが、 どーせ、リツイートやフォロワーが多いとか、 読者がZeppに入りきらない程多いとかで、 同じ境遇の人たちに「ワッショイ」されて 「俺、大人気やん!イケるやん!イケハヤやん!」 と思っているひとが多いんじゃないかと思う。

実績が・・・

ひとより気づきが・・・

文章力が・・・

周りの人と区別し、自分が素晴らしいと胸を張る。 それも良いけれども、あまりにも同じような人の人口密度が多いとね、 暑苦しいんだ、アンタのヤル気。 シャチのオイラ暑いの苦手だ。

私は思う。
おもしろいライターなら良い。
ただし、並のライターならいらん。

では、どんなものが並のライターなのか。


私は必読していた雑誌がある。

ひとつは「Number」(スポーツ誌)。
もうひとつは「ロッキング・オン」(音楽誌)。

どちらにもライターが登場し、それぞれが特徴のある記事を書いていた。 毎号楽しみに読んでいたのだが、ある瞬間からパタリと読まなくなってしまった。

その理由は、
記事から批判精神の欠片を
感じなくなったから

である。

スポーツ選手と馴れ馴れしくタメ口をきくライター。 すごいだろう、俺タメ口なんだぜ。 のアピールだろうか。

選手をアゲにアゲ、素晴らしい素晴らしいの一辺倒。 仲良くするのは勝手だが、うまいことだけ言ってダメなもんはダメという 指摘も無い薄っぺらい記事。

何でも「玄人好み」でそれっぽい音を褒めるライター。 心揺さぶられる!泣きそう!必聴! と煽っておいて、数年後の特集では あの作品に時代が追いついていない、まさしく迷盤。と片づける。

悪いものは悪いと言ってほしいのに、 誰々のドラムがどうだの、ストラトの泣きリフがどうだの、 重箱の隅を褒めるセールスライティングに終始。 通販番組のタレントみたいなもん。

どちらも批判精神の欠片が無い。

ライター自身に火の粉も返り血も浴びない、 安全な場所からうまいこと言っているだけのおべんちゃらに過ぎない記事ばかり。

だから私は読むのを辞めた。
全然面白くないばかりか、読み終わった後に感じる熱がまったくなかったからだ。

売れればいい。
自分にお金が入ればいい。
それっぽいことを言えばいい。
うまいことだけ言えばいい。

そう思うのは勝手だが、その思惑が読者に伝わった瞬間、 その記事は途端に冷たくなる。 その程度の並のライターなら、その辺りにいっぱいいる。 冒頭の「自称ライター」にでもお願いすればいい。

私はいつだって称賛と批判、正義と少しの毒を求める。 歯に浮く称賛ばかりの記事では、読者が読者ゆえ求められない当事者の真実を知ることができず、 読者の願望に答えられない。 日々、持論で鬱積する溜飲も下げられない。

ダメなものはダメと言えるのか。 火の粉や返り血を浴びてまでも言えるのか。 はたして、その覚悟で記事が書けるのか。

その覚悟が、見えない。


リスクの多い仕事は多くのお金をもらっても良いと思う。

しかし、批判の精神をもちあわせていないライターはリスクが多いとは言えない。 差別化を図りたいなら、儲けたかったら、文章力に自信があるのなら、 気安い記事を書くライターで終わってはいけないと思う。

なぜ私が、ライターである以上リスクを負って欲しいのかというと、 悪いものは悪いと言えない度胸もない「気安いライター」では、 ライターとして生き残れないと思っているからだ。

Numberもロッキング・オンも、面白くなくなったなぁと思うのは、 先輩ライターたちの「かっこいい文章」だけに影響されただけで、 それがジャーナリズムなのかと考えたら、ただの「マネっこ」にすぎなかったからだ。

もうこれ以上「マネっこ記事」なんていらないんですよ。 なあんて思っちゃうのは、単に私が「飽きた」だけなのかもしれない。

SNS上でもライターだけで群れてるのを目にするが、 会社が嫌で辞めたのに、結局群れて群れの中に溶け込むなんて会社と変わらないし、 群れの中から一匹ギュッとつまんでライティングの仕事を授けようなあんて思う依頼者もいないだろうに、どうして群れちゃうかね。

誰とも群れていない謎のライターの方になんだか任せたくなるのは、 群れに「スレていない」人の方が突飛な記事を書いてくれそうだからだ。

「並」はいらん、「特別」でようやく「普通」。

「普通」という言葉キライだけれど、それくらいでないと熱の伝わる記事なんか書けないし、お金なんか払いたくないのだ。

支払い依頼する人の事を考えていない時点で失格。 読む人のことだけを考えるのは失格。 自分のことだけ考えているならさっさと足を洗った方がいい。

稼ぎたいならリスクを伴って書いてくれ。
「お小遣い稼ぎ」のノーリスク記事なんか見ていられないのである。


リスクを伴う仕事。

世の中にはいっぱいある。
医者だって保育士だって、ガッコのセンセーだって、 邪知に扱っていけない「人」を扱う時点で超リスキーだ。

それらの価値もわからずにテキトーなこと言う 「お金大好きホリエ君」みたいに「稼ぐ奴がおもしろい」と思っている層は最近多い。

アイツ稼ぐからくっついていこう、ゴマ擦っていこう。 みたいなコバンザメ君が多いんだ。

でも、果たして「稼ぐ奴」がおもしろいのかと考えたら、 「金」が絡んでいる時点で全然面白くない。 だって「稼ごう」としている行為自体が「熱く」ないからだ。 それを「熱い」と思っている人だけで群れる。 群れた仲間を蹴落として、一握りが勝利し、 大多数がいつも通り歳を重ねる。

おもしろくないひとの出来上がり。

世の中の役に立とうという意識のないひとの出来上がり。

おもしろくないライターのおもしろくない記事が世の中に溢れないように、 「君の記事は何もおもしろくない」 と気安いライターに断言できる度胸を持ったライターを、切に望む。

written by 日照ノ秋人 
私はライターではありません。マッチでぇす。