ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

語り続けること

広島平和記念資料館をリニューアルする際、 当事者の意見や資料を集約し、 多くの時間を費やして後世に何を伝え残していくのか。 それをいかに表現、展示するのかをまとめたテレビ番組を見た。

一般的には「原爆資料館」ともいわれる広島平和記念資料館だが、 当事者から見れば「原爆」というおぞましい表記は好ましくない。 ネットでも「広島平和記念資料館」がトップに出るところを見ると、 「原爆資料館」という名前は今や別称というのがわかり、 当事者でない私はどうしても配慮、気配りが足らないような気がして自己嫌悪に陥っている。

もっとひどいことに、グーグル検索で「原爆資料館」を調べようとすると、 グーグル予測変換に「原爆記念館」と出てくる。
なにが「原爆記念」なのだろうか。
さすがアメリカの企業である。
が、そういうワードで検索してしまう平和ボケの日本人がいるからでもあるだろう。

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私は嫌なことはさっさと忘れるべきだと思う。
ただし「教訓」は後世に残すべきだとも思う。

戦争という悲劇から生まれた「教訓」は、人間の過ちである。 過ちなら繰り返さない方がいい。 しかしその過ちを忘れてしまっては人間は繰り返すのである。 忘れないように「教訓」として残さねばならない。

広島平和記念資料館がリニューアルの際、 当事者が少なくなっている現状を考えると、 今後語り続ける事が出来なくなるんじゃないかという懸念があった。 そのため資料館に残す資料や写真を出来るだけ後世に伝える為に、 当事者などが集まって議論が行われた。

今後語り続けることができない。 ならば資料館で伝えるにはどうしたらいいか。

当事者だって思い出したくないだろうに知恵をしぼり、 見せ方を考え「伝える」ことに自ら向き合ってリニューアルは進められた。 リニューアルに向けた意見交換はかなりの時間を費やした。


唯一の被爆国。

この表現、私は好きじゃない。

なんか周りと線を引くことをより一層強調しているように思えるからだ。

もちろん「唯一の被爆国」に違いはないのだが、 別に好きで被爆したわけではないし、 我々と同じように「フツー」でいたかったはずだ。

そういった表現や言葉遣いなど細かなことでも議論していた。

戦争は悲惨だ。
原爆は使うべきじゃない。

それを後世に伝える方法は何か。 「被爆国」や「悲惨さ」をアピールするだけでは 「大変だなぁ」のひとごとで終わってしまう。 特に海外からの観光客は完全にひとごとなのだから、 つらかったアピールで終わってはいけない。

ただの独り言とは違う。
語り続けることとはひとに伝えつづけること。 屈折したり脚色したりすれば、それは真実ではなくなってしまう。

真実を語るためには向き合わなくてはならない。
とても悲惨な己の過去に。
蓋をして思い出さないようにしていた深い傷跡に。


私は生まれつき脳波に異常があった。

確かに後で思い返せば特殊な能力を持っていたように思う。 だから特殊学級行きをおそらく命じられた。
※現在では特別支援学級と呼称が変わっている。

なぜ命じられたのを私が知っているか。 おせっかいな保育士や教師が「お前はあっち(特殊学級)なんだよ」と、 常日頃から真顔でイヤミったらしく教えてくれていたからだ。

私は自分の親に聞いてみたが何も教えてくれない。 おそらく真実は墓に持って行くつもりだろう。 私には「アンタはフツーだ。周りにもフツーだと言いなさい。」としか言わなかった。

推測だが私の母はかなりの「モンペ」として保育園や学校にかけあったのだと思う。 おかげで普通学級に無理やりねじ込まれ、学校を普通に卒業し、 普通に高校受験し、普通運転免許を取得し、フツーに生きてきた。

その影響で特殊な能力は完全になくなり、 ヘンテコなブログを書くフツーのおじさんになってしまったのだが。

ここまで数行書くために私自身の嫌な過去を思い出そうとしたのだが、 嫌なことがありすぎて頭がおかしくなりそうでこれが精いっぱいだった。

悲惨だと思っている己の過去に向き合うには相当な勇気と覚悟と時間が必要なのだ。

嫌なことはさっさと忘れるべきだと上で書いたが、嫌なことほど忘れられない。 だから思い出してしまうきっかけとなることは風化させたいと思っている。


本当に嫌なことを思い出すことはしたくない。

私もそうだし、戦争を経験した方々もきっとそうだろう。 後世に語り続けるということは己の過去や傷跡を認識し続けることになる。

それがどんなに勇気が必要か。

特に戦争に関しては死への恐怖が直接的に関わるのだから怖いに決まっている。 それでも当事者たちは逃げず恐れず「語り続けること」を選んだし、 伝え方、残し方を議論して広島平和記念資料館のリニューアルに取り組んだ。

戦争をすみやかに終わらすために核のチカラは必要だった。

それが戦勝国の言い分だがこちらの当事者から見れば、 「まだ、終わっていない」のだ。

過去を振り返る勇気を失わない彼らは私が思うに、 「まだ終わらせないため」に語り続けるのではないか。

その正義は、その使命は、
平和ボケに漬かりきっている我々とその子供達に向けられている。

嫌なことは風化させてしまおう。
ただし教訓は残したい。

唯一の被爆国と言いたいのなら、 語り続けることをやめてはいけない。

そしてそれを汲み取る意識も失ってはいけないのだと思う。

written by 日照ノ秋人 
痛みは消えない、人生を変えてしまう。


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