ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

ブログ風

レトロな喫茶店のホワイトボードに今日のランチメニューが書かれていた。

かつ丼風」

あたまにその景色、浮かんでこず。

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問題ばかり

用意していたかのようにオリピック関係各位の素性がバラされ、もはや骨抜きでこの時を迎えてしまった。なんせ、かの会長ですら中国でやるものだと思い込んでいたのだから、もーやらなくていいんでは?の論調も沸くってものさ。

カネにならないオリンピックはもはやオリンピックではない。そんなことを口にする偉いさんもきっといるはずだ。だったら、オリンピック風なことをやって「トーキョーは幻の回」とした方が後々思い出には残りそうである。

オリンピック風

開会式風なことをして、おやまだ風な音楽を流しラーメン風なものを食べ、競技風なことをして嬉しい風な顔で金メダル風なものを首風にかける。

乱立したホテルは戦慄し、飲食店は飲食店風な営業をし、病院保健所に観衆が押し寄せて待合室ではパブリックビューイング風なイベントが行われる。

このオリンピック風な事業に身を投じ、身を滅ぼし、死んでいった労働者はどんな気持ちだろう。きっと私生活や家族を犠牲にした労働者もたくさんいるはずだ。そんな彼らを思うと「~風」にしてまって良いのかと思えてきたが、「~風」にしたのは他ならぬ開催国の日本人だったりする。無論、ウイルス発生起源がジャパンとは言わないが。

受け入れ先が無い絶望

2か月前、血を噴き出した私は医療崩壊による「受け入れ先が無い」という絶望を味わった。本当に、死ぬかと思った。以来、私はすっかり無気力になっている。体力は回復した、ただし精神力は回復しない。するとどうなるか。与えられるだけの日々になった。

ドラマやアニメやダゾーンを観て、細々とブログを見て、日曜の早朝にとあるラジオトーカーを叩き起こし、 仕事だけとりあえず頑張る生活。生活…風。

オリンピックが選手の活躍する場なら、その「場」は与えられたものだ。与えられたものの中で生きるのは、今の私も同じである。

体はなんとかなる。
でも心がなんともならない。

オリンピックで来日している人たちがそんなことにならないように、私はドーナツでも食べながら祈るばかりである。