ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

松本山雅と日本代表のサポーターに見る力の違い

2018年、J2リーグ優勝は「松本山雅」にきまりました。
サポーターの皆さん、おめでとう。
来年はJ1ですね。

みなさん、昇格してますか?
日照ノ秋人です。

私は、名古屋ファンですがJ2最終節の松本山雅vs徳島ヴォルティスの一戦を テレビで観戦しておりました。
と、同じ頃、サッカー日本代表の親善試合もテレビで観戦しておりました。

その時、ふと思ったのです。

日本代表サポーターの応援って、なぜ熱がないんだろうかと。
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松本山雅のサポーターに感じた熱

超満員のスタジアム、アルウィン
今年のJ2は優勝争いが大混戦で、「あっちが勝てばこっちが脱落」という ある意味残酷な最終節。

テレビも逐一他会場の経過を伝え、テレビ観戦では本当に1年に1度の ピリピリした雰囲気を感じられる瞬間でした。

正直な話、観戦した「松本vs徳島」の試合は、昇格に向けてカッチカチだった松本と、 昇格に関係のなくなった徳島であったため、それほど面白い試合ではありませんでした。

そりゃあ、松本のホーム、さらに超満員、結果いかんでは優勝はおろか 自動昇格圏外に転落してしまう可能性を秘めていましたから、硬くなって当然。

そんな時に選手を動かせるのはサポーターの唄だ、と言わんばかりの サポーターの唄声にテレビでも感じるほどの「熱」を感じました。

局面で変化をつけた歌、攻める時だ、耐える時だ、試合に緩急をつけ、 選手を突き動かしてゆく。

これがサポーターというものだと、見ている部外者約一名も納得の雰囲気でした。

ただ、私は完全な部外者だったため、勝負事には甘美で香り高いスパイスを求めます。
正直、「松本負けたらおもろいな」という視点で見てました。

これ、ナイショ。

それに引き換え日本代表は

国際親善試合だからというわけでもないんですが、ワールドカップ予選でも 日本代表の応援ってちょっと淡泊じゃないですかね。

攻めてるときは「ワーワー」言って、うまくいかなかったら「あ~あ~」言ってるイメージ。

唄も画一的で、緩急に乏しく熱がない。
「無い」といったらサポーター諸兄に失礼だけれど、どこか「カジュアル」を意識しすぎていて 「闘う」気持ちが隠れてしまっているのです。

逆に考えれば、デートなどで日本代表の試合は誘いやすい。
カジュアルで、ライトな群れ感、一応一体感はあって、劇場型のエンターテインメントとして 楽しむことは、別に悪いことではないけれど、なんかなぁ・・・。

闘いが見たい、競技が見たいひとにとっては、日本代表の応援はヌルい。
なんだかヌルいんだよなぁ。

距離感の問題か

松本山雅の応援は素晴らしかった。
日本代表の応援はヌルかった。

俺が応援する松本だぜ。
俺が応援する日本だぜ。

「俺」が近いのはどちらかといえば、街である松本が近いに決まっています。
だから群れるし、スタジアムなんか行っちゃうし、声を枯らして歌うのです。
「日本」ではみんなのもの過ぎるのかなぁ・・・。

マトメ

私はJリーグが好きです。
海外に比べてレベルがどうとか、一切言いません。
JリーグにはJリーグの味わいってあるんですよね。

じゃあ、日本代表はと言われると・・・
見るっちゃ見るけど、スタジアムに行きたいとは思わないんです。

だったら、豊スタに、アルウィンに、ビッグスワンに、
しびれるサポーターの唄を聞きたい。

スタジアムの熱、サポーターの熱、
冷血漢の私は、熱に飢えているんだろうか・・・。


こちらも関係ないけどぜひ
なんでこのチョイスなのかはナイショね。

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