ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

監督の引き際とシンパの妄信

以前、トヨタスタジアムにJリーグを観戦しに出かけた私。

その日以来、まともに勝てていない名古屋グランパスは、 夏が終わりを告げそうな今でもほとんど勝ちを手にしてはいない。

本来なら家族全員で観戦に出かけたことにより 勝利の女神となるはずだったのだが、 以来、敗戦がクセのようなものになってしまいなんだか申し訳なく思っている。 そんなことを私が思う必要は全くないのだが。

従って「秋の観戦」を計画していた我々であったが、 敗北の女神はそっと計画をやめてしまった。 っていう理由にとりあえずしてみたが、 秋の観戦に行かない理由はただひとつ。
単純に名古屋のサッカーがつまらないから。である。

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名古屋グランパスの観客動員数は近年右肩上がり。

私がお邪魔した「vs松本山雅」も約40000人がトヨスタに来場した。 応援の熱い松本山雅のサポーターが多く駆けつけたという効果ももちろんあるが、 他のクラブに比べれば「40000」という数字は簡単に達成できることではない。 私の記憶では、ほんの数年前までは40000という数字は 優勝した時に、それも一番盛り上がっている時の数字だ。

今季、40000人超えを幾度と達成できた要因は何だろうか。

チームのサッカーがとても魅力的なのか。 それとも選手がとても魅力的なのか。 監督の掲げる「トメテケル風間サッカー」に期待感があるのか。

私は思う。

要因は上で挙げたことではなく「営業努力」だと。

私が観戦に行った試合も「ガールズフェスタ」と銘打って、 女子向けのイベントがあったり、女子には記念ユニフォームを配布したりと、 スタジアムに行くことで得られる「得点」みたいな仕掛けがあった。

スタジアムの周り、駅前の商店街も巻き込んだ町中が「祭り」のような盛り上がりは、 サッカーに特に興味が無い層もなんだかウキウキして楽しい。 優勝を左右する特別な一戦でもないにもかかわらず、である。

今までの集客方法は「チケットの割引」によって観客数が左右されていたワケだが、 ここ3年くらい集客のアプローチが割引だけでなく、 競技以外で楽しめるイベントを積極的に行っているように思う。 というより、積極的に行いすぎて逆にチームの勝敗、 試合内容がとてつもなくショボく感じられるものになってしまっている。

集客改善の為に取り組んだ広報、それを支援する営業の努力は、 チームの結果次第では観客に「損した」と思わせてしまっているのだ。

ファン、サポーターが望むものはただ一つ勝利であり、 その勝利の積み重ねが好成績を産む。 好成績のチームを支持する者は誇らしいし、 何よりうれしいじゃないか。

今は「集客」という点では大成功といえるが、 「成績が奮わない」という点でリピーターを得られるかという点では、 大失敗と言わざるをえない。 我が家だって「秋の観戦」を辞めてしまったし。

集客は出来た。
でも結果は知らん。
部外者から見たチーム内部は、そんな風に見えなくもない。

2013年、外部のマーケティング会社に協力してもらい、 集客改善のテコ入れはした。 では成績はどうなのか。


サッカーをスタジアムで観戦したい人というのは、 全力でチームを愛しているひとではないかと思う。

そもそもファンとして観に行く、サポーターとして共に闘うという違いこそあれ、 「好き」には変わりない。

チームの成績でそれに応えられないのでは、 本来ならチームとして相当情けないことなのだ。

では、チームを「情けないチーム」にしてしまった責任者は誰か。

それはもちろん監督だと思う。
でなければ何の為の「監督」かわからない。 選手全員に責任を問えばチームが成り立たなくなるので、 手っ取り早く事態を収束するには「監督」という切り離せる立場が必要なのだ。

世界中どの国のどの競技の監督を見たって、 成績が奮わなければ「クビ」である。 だからスポーツにおける監督業は、 「最も離職率が高い」といわれている。

逆に成績が良ければ、ずっと監督でいられるのだから、 「成績」というものは観客であっても監督であっても、 最も重要な要素なのである。

私が観戦した5月から、名古屋グランパスは「情けないチーム」のままだ。 そして成績も伴っていないとなれば、監督業をしているひとから見れば、 完全に「引き際」なのである。

そこで決断できないから「監督解任派」やら「監督擁護派」やらが、 チームを愛するがゆえ情緒不安になりながらも議論してしまうのだ。

私は成績が伴っていない監督は、風間だろうがベンゲルだろうがジダンだろうが、 「解任が妥当」と思っている。 なぜなら、成績を上げられない監督は、極端に言えば「ただのおやじ」だからである。
ただのおやじはチームには不要。
冷血だがそれが本当にチームの為だとも思う。

しかし、成績が伴わない「ただのおやじ」にも多数のシンパがいる。

今監督を変えてなんになる。
積み重ねが大事なのに捨ててしまうのか。

そんな意見を目にするが、ただのおやじなら変えてしまっていいし、 ただのおやじが積み重ねたものなんて結果を見ればわかるように、 ショボいものでしかなかったのが現実なのである。

監督の引き際同様、見切りがつけられないのは「妄信」といえる。

監督を変えて今から積み重ねをすればいい。 まだ来季、それ以降があるのだから。 今監督を替えて成績が変わるのかという議論もあるが、 J1残留の為に自分たちの戦い方を変えて勝利を拾うだけなら監督は誰だっていい。 誰が監督をやったって、今からでは劇的に変えられないのだから誰だっていい。 むしろ悪い流れ、チーム内の雰囲気、特に風間さんは選手のせいにするから 思い切って排除したほうがチームの為になるのではないかというのは私の思う所。 今の成績が悪いのだから「今までと同じ体制」で良くなるワケはない。

新監督は劇薬か。
劇薬であっても「今までどおり」で通用しないなら、 変化を恐れない勇気が勝利には必要だ。

今季ズルズルと「ただのおやじ」の積み重ねに付き合うより、 新監督の積み重ねをいち早く始めた方が来季の為だ。 選手をある程度鍛えたかもしれないが、 コーチ陣とのコミュニケーションはとれているのか。 若いコーチ陣をも鍛えているかは5月の観戦時、 私の単眼鏡からは伺えなかった。
※試合がショボかったのでベンチワークを見ていました。

今季は残留の為に戦い方を変えるか、変えずに残留争いに首を突っ込むかの2択だ。 残り試合が多ければもっと選択肢が多いけれど、既に9月。 引き際を語るにはもう遅いのだが。


チームのオーナーにも同じことが言える。

これほどまでに成績が悪く、選手が離反していく現状を見て、 監督に責任を取らせないオーナーも珍しい。

監督をひとり切れば選手は大量に離反せずに済んだのだが、 いつまでも引き際がわからないものだから、 選手の方が見切りをつけてしまっている。

監督が選手を引き寄せたという意見もあるが、 監督が見切りをつけた、あるいは冷遇した選手が離反していく等、 選手を繋ぎ留められないというのは監督の魅力の無さとはいえないか。

そんな状態でも「解任」の決断が下せないのは、 企業のトップとしても無能ではなかろうか。 それか、オーナー自体がシンパとして「妄信」しているか、だ。

それについては歴史が物語っている。 監督を擁護しすぎたオーナーのチームは、 もれなく選手が離れていく。 まさに、今の名古屋グランパスのようにである。

今は広報と営業の頑張りで集客を見込めているが、 一過性のものにならないように、チームは好成績を収める必要がある。 本当のビッグクラブとは、監督に長期政権を握らせるチームとは、 集客も成績もだれもが納得する形を導いているものなのだ。

written by 日照ノ秋人 
意外性さえあれば今までの積み重ねが輝くのだが


以前観戦の話

hiderino-akihito.hatenablog.com

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