ふにゃふにゃフィロソフィー

真の父親とは、男とは何かを考えるブログです。

コスパって言う男、どう思います?

私が勤める会社には、いつもボロボロのカバンを持ち歩いているおじさんがいる。

私の心では「貧乏くさいさん」と華麗なるあだ名をつけられているのだが、このたびカバンを新調したようだ。

ああ、これからは「貧乏くさいさん」とは呼べないなと残念に思ったので、 新調したカバンについて惜別の念をこめて話しかけてみた。

「カバン、良いのになったじゃないですか。」

ワレながら、微妙に敬い持ち上げつつも持ち上げすぎない105点の言い方である。すると、私よりも若干歳上の彼は言うのだ。

コスパがよかった」と。

おじさんが帰ったあと、そのやりとりを見ていた女子が私のところへやってきて言うのだ。

コスパって言っちゃうところが貧乏臭くないですか?」

私が「貧乏くさいさん」と勝手なあだ名を付けていることを知らない彼女が、 まさかの「貧乏臭い」発言であったために、そのあだ名が撤廃されることはなかった。 なぜなら、「確かに」と私が思ってしまったからだ。 私の様に美を追求するカバンだったらよかったのに。

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コスパ

コストパフォーマンスだか言うその意味は私風に言うと、 「お値段以上。」とか「プライスの割にやるじゃないか」 みたいなものだと思っている。

安いけど良品、みたいな。

つまり、「安さ」が念頭にある。
安さを求めるのは日本人のクセみたいなもので、 200円と書かずに198円と書いた方が瞬間的に安く見えるから、 たった2円安いだけなのに購買意欲をかき立てられて、 日常的にまんまとひっかかっている。

心理的に少しでも「購買意欲」を刺激しているのだから、 心から「安さをもとめる」民族になってしまっているのだ。

そして極端に「安いのが正義」とまでにその心を昇華させている猛者がいる。 そこまでいくと私に「貧乏くさいさん」などというあだ名を付けられるわけだが、 決して蔑んでいるわけではない、貧乏臭ぇなと思うだけである。(やっぱり蔑んでいる)

安くて良いものを発見しまるでお宝でも見つけたように喜ぶ姿を見て、 「貧乏臭ぇ」と私の様に思うか、 それとも「この人は生活の事を考えた素晴らしいひとだ」と思うかは ひとそれぞれなんだろうけどさ、そんな姿は見たくない部分でもあるわな。

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私は40歳のおじさんである。
もう若々しくは無くなっていくけれど、いつだってカッコイイ大人でありたいと思っているし、 みっともない姿は見せたくないとも思っている。

みっともない姿を見せつけられる周りのひともメーワクだろうし、 見せなくてよいものは見せないという意識で日々生活しているので、 「こんな姿は見せたくないリスト」を作成し、 それを我が人生の指標みたいなものにもしている。

どんな姿がカッコイイのか。
どんな姿が貧乏臭いのか。

人間としての深みを若い世代に見せつけなければいけないおじさん達は、 多少見栄であっても意識しなければならないことだと思う。 のほほんと生きるだけでなく、生きるという姿勢を。

ただ最近、私の様な40代、30代や50代といった大人達は、 そういった姿勢を意識していないように思う。

何も私が特別だろうエッヘンと線を引くわけではないが、 子供の親もやっているわけだし、「見せつける」や「魅せつける」ことを 全く意識していない大人達が増えているのではないかと思うのだ。

これはひょっとするとSNS普及の弊害なのかもしれないが、 小躍りしている貧乏くさいおじさんをひけらかすことに有意義だと感じている人が多いように思える。

これは、その・・・やっぱりみっともない。

こんなこと書くと、私がとんでもなく古風なおじさんになった気がして嫌なのだが、 みっともない姿を晒して平気なんだろうか。

周りはそれを見て「貧乏臭ぇ」って思わないのだろうか。 周りは周り、どーせ見てないさとか思っているのだろうか。

いや、女子は見ている気がする。

貧乏くさい男を見て「家計にやさしい男」と見るか「貧乏臭ぇ」と見るかはひとそれぞれだと思うが、 立ち居振る舞いに敏感なのは圧倒的に女子だと思う。 というか、壊滅的に立ち居振る舞いを意識していない男が多いだけでもあるが。

近い女子から「家計にやさしい男」という認定をされて、 貧乏臭さに磨きをかけてしまう勘違いの男もいる。 それがSNSで貧乏くさい立ち居振る舞いを見せびらかしているから、 その他大勢のポンコツ男子がこぞって「コスパ」なんて言っちゃうのだ、きっと。

コスパって思う分には良いが、ひけらかす必要は無いんでないか。 長文を書いておきながら私がいいたいことはコレである。 アスファルトの地面にチョークで書いてまわろうかしら。


 

男から見た「コスパ男子」はどんな風に見えるか。

私はただ単に「貧乏臭ぇ」と思うだけだが、 お値段以上な活躍をしてくれるグッズは魅力的だし、 それを見つけてさらに教えてくれる男なのだから、 以外にも「いいヤツ」なのかもしれない。

でも、「お値段以上。」って無いよな、とも思う。

100均のグッズも、実は「得した」と思うより、 「100円でコレなら妥協できる」と思っているだけのような気がする。

妥協してしまっている自分を「コスパ」として慰めているという見方も出来る。

これで結局は「貧乏くさい」に到達してしまうのだが。

お金が潤沢にあれば「コスパ」なんて言わなくなるのか。 いや、潤沢にある方が「コスパ」にはうるさいと思う。

お金持ちほどお金に向き合うことは多いだろうし、 使い方もきっとうるさいだろうからという理由で私は勝手に思っている。

私の様に「気高くあれ」と思うのは、お金が無いからなのだ。 お金が無いからせめて気持ちだけでも気高くありたい。

そんなことをこのブログで書かなければ、もっと気高くなれたのではと思ってしまった私は、 東京ラスクをサクサクしながら反省したのであります。

written by 日照ノ秋人 良いものは良いと言えるおとなになりたい。


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